OIKAWA,Satoko blog

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講談社「本」 

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講談社の小冊子「本」の表紙に、作品を使用していただきました。
冊子の最後のコーナーが、
高階秀爾先生の連載「現代アートの現場から」となっており、
表紙になりました「水焔1」について、解説をいただきました。
書店のレジ前などに置かれていることが多い本です。
もし、お目にされることがございましたら、
お手に取っていただければ幸いです。

思えば、高校生の時、
はじめて読んだ、美術評論が高階先生のご本。
美大に進むにあたり、
美術部顧問の先生が「必ず読みなさいリスト」を手書きで作って下さいました。
その、1番目と2番目にリストアップされていたのが、
高階先生の「名画を見る眼」「続 名画を見る眼」 岩波新書。
今も、画室の本棚に2冊並んでいます。
その高階先生に、自分の作品について
解説を頂くなんて、本当に感慨無量な気持ちです。



「本」3月号 内容

様相の十七世紀21 世界の奥行きを創出する――ライプニッツ(二) 上野修
安部公房と団地の夢 苅部直
平凡な外科医の三つの信条 石井正
スピンク日記44 主人・ポチの初春 町田康
時代の激変の中で 翔田寛
米朝が教えてくれた7 枝雀の修羅 堀井憲一郎
鉄道ひとつばなし194 『海辺のカフカ』と鉄道 原武史
漢字雑談24 古く中国から入った日本語 高島俊男
ルネサンスの神秘思想とは? 伊藤博明
「正教は心の宗教」 久松英二
珍品堂目録111 シューカツの社会史――『求人広告半世紀』 池内紀
分かりあえないことから7 コミュニケーションデザインとは何か?(1) 平田オリザ
無名なひと 大山淳子
政治を哲学する23 「巨人」チャールズ・テイラーのゆらぎ 宇野重規
新日本野球紀行82 ダルビッシュに不安はあるか 二宮清純
『眼蔵』をよむ106 ただ一つの時 菅野覚明
現代アートの現場から75 水焔 高階秀爾
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湯気について1 

湯気を描いている間、何度も浮かぶのは、
中也の「臨終」の一節、「うすらぎて 空となるか?」という部分。
中也の詩には、空からいろいろなものが降ってくる。
自分の請うものが、空にはあると中也は繰り返し詠んでいる。
降りてこなくても、漂いながら近づいて、
手は届かないとしても、姿を見せてくれる、と。

臨終という詩は、モノトーンの悲しい詩だけれども、
空となるか、としめくくるのは、中也にとっての救いに違いない。
空となるか、には「?」が付いていて、
なるかならぬかの答えはどこにもなく、
中也の一方的な願いが宙づりになっている。

思えば「うすらぎて 空となるか?」という問いの一節は、
中也を読むようになった思春期の頃から、
私の中にも、宙づりの問いとして棲みついていたのだけど、
今は、確かに「空になるだろう」と、信じている自分がいると気付く。
そりゃ、中也より、もう10以上も長い生きしたんだもの。

「空となる」と信じているなんて、中也が聞けば、
どんなにか侮蔑されるだろうという気もするけれど、
あまり人にも会わず、山の画室にいて、
広い空の下で、湯気など毎日見続けていれば、
自然の理は、考えるより優しいものだと、信じることは容易なのだ。

うすらぎて 空となる

恩寵は、見ようと思えば、見ることが出来る。
中也の問いの答えは、私の前に事象として見えている。



臨終  中原中也

秋空は鈍色にして
黒馬の瞳のひかり
  水涸れて落つる百合花
  あゝ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦の逝きぬ
  白き空盲ひてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音したたりてゐぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?


(追記
 その腕の優しくありぬ
   朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
   水の音したたりてゐぬ

 のところをあらためて読んで、
 朝の日もこぼれていいるし、
 水の音もしたたっていていると気付く。
 中也はいつもこんな風に、
 美しいものが落ちてきたり、降ってきたりする。
 だから、その腕は優しく見えるんだろう。
 中也の上下はいつもそう。優しいもの、美しいものはいつだって上にある。
 だから、下に落っこちていた月夜のボタンは、
 どうしたって、捨てられずにポッケにしまう。

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