OIKAWA,Satoko blog

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無人島で 

ぼわわん


「無人島で絵を描くか?」ということを、これまで何人かと話したことがある。
「見る人のいないところでは絵を描かないと思う」という返答が意外に多いことに驚く。

無人島でも、私はきっと描くだろうと思う。
砂浜を支持体にして、木の枝ででも描くだろう。
子供の時、誰に見せるでもなく、
アスファルトに石で絵を描いて、ひとり遊びを続けたように。

では「明日、世界が終わるとしたら絵を描くだろうか?」と、考えてみる。
世界が終わるなら、描かないかもしれない、と思う。
世界が無くなるなら、作品もまた消えるだろうから。
世界が消えると覚悟したら、自分は出来得る限り、
さまざまなものを見て回ろうとするのではないかと想像する。
よりしっかり見るために描く、ということはあるかもしれないし、
最後の最後に、最も愛着のある視覚情報を引き出そうと、
描いてみることもあるかもしれないが。

そう考えて、自分にとって描くことは、
見ることの延長線上なのだと気が付く。
自己表現とか、コミュニケーションとか、メッセージとか、
そういう部分ももちろんあるけれど、それは二次的な部分であって、
私にとって描く理由の根幹はやはり「見る」ことなのだと思う。
誰かに見せるために作品を作るのではなく、
自分が世界を見るために試みた行為が作品になるという方が、
私の気持ちにはぴったりとくる。

だから、時に、自分の作品を理解してもらうと、
毎回、奇跡のように驚くし、嬉しく思う。
自分以外、誰もいないと思っていた島で、
同じようにひとりきりでいた人に、出会えたように感じるからだ。
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建築はどこにあるの?7つのインスタレーション 

9月に開催の3人展に向け、制作に没頭中のため、
言語野がすっかり停止状態なので、
先日見に行った近代美術館での
「建築はどこにあるか?7つのインスタレーション」
で撮影した写真をUP。


建築1


建築2

中村竜治 《とうもろこし畑》 2010年
© ryuji nakamura architects co.,ltd.
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館



建築3


建築4


建築6


建築7

内藤廣 《赤縞》 2010年
© Naito Architect & Associates
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館
この作品ではストールのようなものが用意されていて、
それを好きにまとったり、振ったりすることで、
光の筋を味わうことが出来るようになっている。
ちょうど外国人の観覧者の方々がおり、
ストールでノリノリになってくれていたので
その様子を撮影。
最後のショットは私の手。



建築8

菊地宏 《ある部屋の一日》 2010年
© hiroshi kikuchi architects
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館


建築11


建築10


建築9

伊東豊雄 《うちのうちのうち》 2010年
© Toyo Ito & Associates, Architects
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館

この展覧会は見る人が
建築がどこにあるかを探すことがテーマなので、
その手だてとして、写真を撮ることが許されている。
撮った写真をflickerに載せることも企画の内のよう。
参加型のインスタレーションはいくらもあるけど、
写真を撮るというのは、普通のようでいて
存外非常に面白かった。
建築というものが、
はじめから人を招き入れるものであることを、
あらためて感じたりもした。

常設展も、同時開催の企画展「いみありげなしみ」も、
撮影可とのことだったので撮ってみたけれど、
建築のインスタレーションのようには楽しむことができなかった。
やはり、美術と建築の違い、
人と作品との関わりかたの違いがあるのだろうと思う。

企画展「いみありげなしみ」には
村上華岳の作品も出ていた。
しかし、撮っていいと言われても、
どうしてもカメラを向けることが出来なかった。
華岳の絵が持つ宗教的なオーラのためだと思う。

菊池契月

常設展には、菊地契月の鉄漿蜻蛉(おはぐろとんぼ)が出ていた。
菊地契月は私が日本画に惹かれるきっかけとなったひとり。
絵の中の少年が、物憂げで可愛らしく、連れ帰りたくなって撮影。


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