OIKAWA,Satoko blog

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絵絹3 裏打ちされて 

とびだし


はじめて仕上げた絵絹の作品と2作目が、
裏打ちを終えて戻ってきました。
ダンボールにプチプチ、たとう紙と、
幾重にも包まれ、養生されて。

「うーん」という思いと、嬉しい気持ちが同時に湧く。

仕上がった絵を見ると、
想像とは、やはりいろいろ違いがある。
次はこうした方が良い、ああした方が良いと、
どんどん宿題が積まれていく思い。

      ……だ、けれども、宿題は明日に回して、
               今夜は、小さくお祝いなのです。

絵絹の作品は、幸せなことに、
展覧会で発表できる約束が結ばれています。
会場は東京と大津。
東京の会場の近くには、羊がとびだすそうです。

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くずるる 

紫陽花7

近所の公園は紫陽花がたくさん咲いている。
散歩に行ってみたところ、花の盛りは過ぎていた。
遠目にはきれいな花が、
至近距離では色も褪せ、形も崩れ始めている。

すっかりと枯れた紫陽花には独特の美しさがあって、
私は好きなのだけれど、
まだ瑞々しさを残しながら、しおれゆく様には、
なにか不穏な気配があって、
目の奥が重くなるように感じられた。

愛の 

点検

点検をするそうです。

犬マンガ 

neru_1.jpg
数年前、大量のイラストの〆切りに追われて、
ハイテンションになっていた私を見上げる愛娘犬が可愛くて、
そのままイラストタッチで描いてみたらくがき。
〆切りに追われ中なだけに、線に迷いがなくて活き活き。
こんな風に絵も描けたら良いのにと思うことしきり。

当時はまだ関東に暮らしていたので、
日々の様子をマンガにして、親にFaxしていた。
捨てるに忍びなく、取っておいたものを発見。
neru_2.jpg

neru_3.jpg
neru_4.jpg

そういえば、こんなに動物が好きなのに、
動物を画題にしたことがない。何故だろう。
塑像で試みたことはあるけれど。
好きすぎて、抱っこしたくなるからだろうか。
立体じゃないと、抱っこは出来ないから。








A = 440 Hz 

ひさしぶりにピアノを弾いた。
この家に引っ越してはじめてかもしれない。

子供の時に弾いていたピアノは、結婚の時に手放した。
それからの楽器のない暮らしは、
ドット抜けのモニターのような感じで、
不便はないけど、小さな欠けがいつも気になる日々だった。

私はちっともピアノが得意ではない。
臨時記号が3つも付けばお手上げだ。
それでも、ピアノが好きなのだと気づいたのは、
ピアノのない日々があったからだろう。

ピアノを手放して1年ほどたった日、
デパートで電子ピアノの即売会が催されていて、
ふらふらと吸い寄せられ、
ふわふわ夢心地のまま、ローンを組んでしまった。
本当は電子ピアノじゃない方が良かったけれど、
引っ越しの時の苦労もないし、
何より調律の心配もないから、私には充分。

そうそう弾くわけでもないのに、
ピアノがそこにある、ということが私には嬉しい。
ラのキーをたたけばラの音が鳴る、ということが、
私を安心させてくれるのだ。
常に正しい音高を教えてくれるものがそこにあるという安心。

私は絶対音感を持っていない。
はっきり相対音感の人間である。
このことは、私が色面対比で絵を構成するのが苦手で、
階調で絵を描く方が合っていることに通じている気がする。
絶対の確信を持って、色面をパンと張らせることが出来たら、
どんなに良いだろうと思うことも多い。
とはいえ、相対的な階調をできるだけ広げることが、
今は自分の目標だけれども。

相対の世界は、伸び縮みして面白いが、
寄る辺なさに、疲れてしまうこともある。
そんな時、ふとピアノの鍵盤を思う。
規則正しく並ぶ鍵盤。
指にやわらかく抵抗する打鍵の重さは、
音に実在感を与えてくれる。
触れられる確かなもののように、音高が体感できる。

奏でるにはあまりに非力なオーナーの元で、
私のピアノは不運かもしれないけれど、
非力だからこそ、感謝しているんだよ、と、
ピアノに伝えたく思う。

絶対犬愛主義 

chacha.jpg

「犬のいない人生を送る人が、世の中にはいるんだよねー。
 全く信じられない。」と私がひとりごちると、
OTTOに、
「君はいったい何回同じことを言うの」とあきれられた。

犬に興味のない人もいるし、犬が苦手な人もいると、
頭では分かっているのだけれど、どうも信じきれない。
だから、犬に興味のない人に出会うと、
その度に、心の底から大いに驚いてしまう。

犬に興味のない人の気持ちになってみようと、
我が家の愛娘犬のことを
「へんてこな外見だと思ってみる」ということを試みることもある。
鼻は黒くて、濡れているし、
毛だらけで、大抵はお尻全開で尻尾も付いているぞ。
まるで人間とは違うな……と確認していく度に、
可愛さがこみ上げて、試みはいつも失敗に終わる。

犬と人間は、生物学でいうところの共生関係だと私は思う。
飼う飼わないの個人差はあれど、
宇宙人が地球人を観察した場合、
「地球人は犬と共に暮らしている」と記すに違いないほどに、
犬と人間は親しく、生活圏を供にしているのだから。

犬と人間の共生の歴史は古い。
人間によって埋葬された犬の化石として最古のものは、
1万4千年前のものだそうだ。
さらに遡る、10万年より以前の遺跡には、
人骨のそばにオオカミの骨がたくさん出土するそうである。
このことをもって、オオカミと人間が親しくなったのは、
直立猿人からホモサピエンスに進化したての頃だとも言われる。

私の敬愛して止まない
動物科学者のテンプル・グランディンさんの著作、
「動物感覚」には、アボリジニーの、
「犬のおかげで人間になれる」ということわざや、
オーストラリア考古学者チームによる研究が紹介されている。
その研究によれば人間は、集団で狩りをすることや、
複雑な社会構造を持つことをオオカミから学んだと言う。
また、オオカミには同性の非血縁者との間に誠実な友情があるが、
人間以外の今日の霊長類には、そういった友情はみられないことから、
友情というものも、人間はオオカミから学んだと推測されている。

「動物感覚」には、
オオカミは新しい習性を人間に教えただけでなく、
脳の構造も変えたとも書かれている。
種は飼われることにより、脳が小さくなる。
犬の脳は人間に飼われることにより、
前頭葉のある前脳と脳梁が10~30%小さくなった。
これにより、野生の動物に比べ恐怖と不安が減少した。
一方、人間も犬を埋葬するようになった1万年前から脳が10%小さくなった。
小さくなったのは、情動と知覚情報をつかさどる中脳と、
嗅覚をつかさどる嗅球で、前脳と脳梁はほとんど変わらない。
つまり、人間と犬の脳は、それぞれ専門化してタッグを組んだのだ。
人間は計画と組織化を引き受け、犬は知覚の仕事を引き受けた、とのこと。

クロマニョン人が生き残り、ネアンデルタール人が絶えた理由に、
ネアンデルタール人は犬を飼ってはおらず、
クロマニョン人は犬と暮らしていたことが説として上げられているという。
クロマニョン人は、犬によってホモ・サピエンスとなった。
まさに、アボリジニーのことわざの通りだ。

以前NHKの「チンパンジーの知性大研究~どこまでヒトに近いのか~」
という番組で、印象的なシーンがあった。
言語を獲得する上で重要とされる「指さし行動」を類人猿は理解しない。
何かを指を指しても、猿はそれを意識しないのである。
けれど、飼われている犬は指さしを理解する。
これは知能の高低の問題ではなくて、コミュニケーション力の問題だ。

共に狩りをしながら、人と犬は暮らしてきた。
単に、狩りの能率を上げるならば、
知能の高い動物や、強靭で大きな動物など、
他にも伴侶の候補はいるだろう。
犬の顔は、オオカミの子供の顔なのだとよく言われる。
子供の顔は、どんな動物でも愛くるしくて保護したくなる。
犬は、大人になっても子供のように愛くるしいことによって、
人間に保護されるよう進化したのだろう。
人は、知性よりも、強靭さよりも、
信頼し、甘え、尊敬してくれる、この可愛さを選んだのだ。
永遠の幼顔。
その顔にとろけない人は、猿時代を忘れてしまっているのだろう。

犬が家族のように扱われることを、
最近の風潮のように言う向きもあるが、
縄文時代、犬の埋葬方法は人間の埋葬法と同じだったそうである。
太古より人間は犬を供として暮らしてきた証だと思う。
(狩りに長けた犬達だから、
 狩猟民族の方が犬との関係が深く、
 比較して、農耕民族は関係が浅いとみる説もある。
 日本は主に農耕の比重が大きな歴史が長いので、
 かつての犬との関係が忘れられていたのかもしれない。
 縄文時代には多くの縄文犬が埋葬されていたが、
 弥生時代に埋葬された犬は発見されていないそうだ。)

可愛さと同時に、私は犬の中に獣の気高さをみて憧れるし、
使命に対する律義さと、誠実さとに敬服する。
犬とのつき合いは、
人とのつき合いに等しい(時に勝る)
信頼の喜びを感じさせてくれる。
それは、全く違う形と習性を持ち、
血のつながりももちろんない別生物と、
こんなにも信頼しあい、必要としあっていることに、
奇跡のような不思議を感じるからだ。
同種だから好ましく思うのではなく、
違うことを互いに必要としていることがすごいと思うからだ。

テンプルさんは言う。
「動物と話ができる人はできない人よりもたいていは幸せだ。
 人間もかつては動物だった。
 そして人間になったときに、なにかを捨てた。
 動物と友達になればそのいくらかでも取りもどせる。」

yune.jpg

松原さんお疲れ様でした 

All About で8年間「日本画」ガイドを務められた松原洋一さんが、
本日をもって、ガイドを卒業されるとのこと。

思えば、松原さんから、
All Aboutのポートレート掲載のお話をいただいたのは、
日本画の友達も皆無で、
誰かに評価をいただくこともなく、
ひとりきりの気持ちで制作を続けていた頃でした。
All Aboutのおかげで、
私は日本画を描く、
多くの同世代の作家を知ることができましたし、
自分もその中にいるのだという感覚を与えていただきました。
そのことは、制作を続ける励みになりました。

松原さん、本当にありがとうございました。

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