OIKAWA,Satoko blog

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シャアシャアと 

高校の教科書で習った詩に、
若い人のそばにいると、血液の流れる音が聴こえる
というような意味の詩があった。

現代国語の担当は、小森のおばちゃま似の先生で、
007がいかに素敵に女性を魅了し去っていくか、などということを、
授業中とうとうと話し続けたことを覚えている。
「おばちゃま」と思っていた先生が、
インナースペースに入りながら、
(まして授業中という公式な場で)
007のような男性の魅力を語ることに、私はびっくりした。
先生という存在が、そして「おばちゃま」という存在が、
急に女性であると知らされたようで、小さくショックだったのだと思う。

その小森のおばちゃま似の先生が、
この詩を朗読した後、
「あなた達には分からないだろうけど、
 私の歳になると、この詩の意味がよく分かる。
 若い人のそばに立つと、本当にシャアシャアと音がするように思うのよ」
と、言った。
そして、今、私は、駅のホームなどで高校生のそばに立つ時、
そのシャアシャアという血液の音を聴くようになった。

夏、やたらに忙しくてナチュラルハイになった時、
バーバーの弦楽のためのアダージョが素晴らしく身体に響いた。
その後、蝉の大合唱を聴いた時、
バーバーのアダージョととても似ていると気が付いた。
と、同時に、それは、
シャアシャアと流れる、血液の音にも似ていると思えてきたのだった。

シャアシャアと流れる血液の音は、まさに命の勢いであって、
誕生・成長・老い・死という命のグラデーションの、
どこに位置するかで、それを響かせる側か、聴く側かが決まるのだろう。
響かせる側である時、誰しも自分の血液の音には気付きにくい。
老い始めて、初めて聴こえてくる。先生が言った通りだと思う。
聴こえ始めたら、少し死の方へ距離を縮めた証拠だろう。

バーバーのアダージョが葬送の曲としても愛される理由も、
夏から秋、虫たちがあまりに鳴くと切なくなるのも、
きっと、そういった理ゆえなのかな。
007にときめきながら、おばちゃまになった先生と同じに、
私も中学に繰り返し聴いたラブソングを今も聴いている。
その耳で、シャアシャアと流れる血液の音も聴く。

それが、今の年齢。
私の命の量であり、今年の秋である。
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第45回宮城県芸術祭絵画展 

明日から、せんだいメディアテークで開かれる、
第45回宮城県芸術祭絵画展・日本画部に出品いたします。
河北新報社賞をいただきました。

今回も薄氷のシリーズですが、
これまでの「畦道の氷」ではなく、
風に吹かれながら凍った水たまりの氷を描きました。
氷の表面に風が残した紋は、
氷として固まっているのに、同時に水の動きを感じさせます。
その、氷に残る風と水の「相」が今回のモチーフです。

ご高覧いただければ幸いです。


第45回宮城県芸術祭絵画展
日時 :9/26(金)~10/8(水) ※10/2は休場
    10:00-19:00(最終日は17:00まで)
会場 :せんだいメディアテーク
    会場への地図、住所等はこちら
入場料:一般500円 大学生・65歳以上の方等250円

お問合わせ:社団法人宮城県芸術協会 022-261-7055

※この展覧会は終了いたしました。
 ご高覧いただいたみなさまありがとうございます。

虫の声 

豪雨と雷続きの数日だったけど、
昨夜は強い雨も降らず、静かな夜だった。
虫の声もひさしぶりに聴こえてきた。

眠りに入る中で、ぼんやり思う。
「あの豪雨を虫たちはどうやりすごしたんだろう?」
朝、犬散歩に出かけると、
クロアゲハが飛んでいた。心なしか黒さが淡い。
雨で鱗粉がはげちゃったのだろうか。秋だからだろうか。

人家も倒し、町も沈む豪雨の中、
葉の陰や木の下で、じっとしているたくさんの虫を想像する。
壮絶なサバイバルの後も、
何も変わらぬ様子で鳴き、飛ぶ虫たち。

もう季節は秋だから、
生き残った彼らも、そう長くはないだろう。
そう思うと、なおのこと、
晴れの日が続くことを願う気持ちになる。

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