OIKAWA,Satoko blog

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西日 



葉に射す西日がつくる影絵

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すすきの穂も透ける

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紅葉にちいさなスポットライト

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西日はものを朽ちらせるというけれど、
私は西日が嫌いではない。

山の午後、陽に透ける葉がみな金色に光る。
その中を散歩するのがとても好きだ。
愛娘犬の尻尾も西日に透けている。

少し暖かな陽を感じると、
自分の身体も西日が透過している気持ちになる。

私の細胞もほろほろと西日にほぐされて、
霧散してしまうことを想像したりする。

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Scale-Out 2007 シンポジウムのこと 

先日、仙台在住の作家5人による展覧会「Scale-out 2007」のオープニング企画シンポジウムを聞きに行った。テーマは「今日の美術と、つくることの不可能性をめぐって」。

「つくることの不可能性」について、私が実感したのはジョン・ケージの無音の曲、「4分33秒」を知った時だ。感動し、同時に「あ、終わりだ」と思ったのを覚えている。ケージの友人ロバート・ラウシェンバーグは何も描かないキャンバスを作品とする「白い絵」のシリーズを制作している。無音を聴くことで、それまで意識しなかった物音や心臓の鼓動といった多くの音に気付かせるという音楽表現と、描かれていないキャンバスに映りこむ光や影や反射色を表現とする絵画表現。ここまで行きついた次に、一体何ができるだろう。

私にとって幸福だったと思うのは「4分33秒」を知った後に、バッハに感動したことだ。リヒター指揮のマタイ受難曲。名曲であり名演、定番中の定番。勧められて購入したままになっていたこのCDを、寝つけぬ夜、イヤホンを付け、布団の中で聴いた。寝つけそうで選んだにも関わらず、あまりの高揚感にすっかり覚醒してしまった。電気を消した部屋の布団の中で、腹ばいのまま私は感動に固まった。いくら定番であろうと、それが古典であろうと、その時の私にはまっさらに新しい出来事だった。私個人の中で、音楽史は逆周りに刻まれたのである。

「つくることが不可能」となったとされている現代の中でどうすれば良いのか。その問題に対し、パネラーの土屋誠一さんはローカリティー、また、もう一人のパネラーである林卓行さんは「技術」と「フォーマリズム」をキーワードにして、現状打破のヒントを提示された(お二人とも、ローカリティーとかフォーマリズムという言葉が誤解を受けやすいことを意識して、違う言葉を探しつつだったけれど)。

土屋誠一さんのおっしゃるローカリティーというのは、なにも仙台在住作家の展覧会だから出てきた言葉ではもちろんなくて、アート・ワールドに対するローカリティーであったり、「今、ここに、このようにある私」みたいなことを、ローカリティーと表現していると私は理解した。

何をもって作品となりうるかを考える時、アート・ワールドの中にあるから作品だ、とするような価値観があるということを私は意識したことがなかった。言われれば、そうなのだろうな、とは思うけれど、だからって私の中では何も変わらない。
私にとって、周囲がどう思っていようと、美術は美術で、自分は絵画で、ということが自明だという確信が今はあるので、実はちっとも「つくることの不可能性」を感じてはいない。「大きな物語が消えた」とも思っていない。大きな物語どころか真理だってあると思っている。第一、私は神様を信じている。
信じているということは体感しているということだ。それを否定することは誰にも出来ないし、アート・ワールドとも関係ない。それは、現代の作家として考えがなさ過ぎると言われれば「そうですか」としか言いようがないけれど、それが「今、ここに、このようにある私」なんだから仕方がない。

「憑かれる時、ひとは疲れない」と鷲田清一さんが書いていた。「疲れている時、人は思考しているのだ」と言ったようなことがその言葉に続いていたように思う。だから、疲れていることを肯定的に受け入れよう、というような。
こんな私にも「つくることの不可能性」に囚われて、描けない時期は長かったし、暮らすこと、生きることの不条理を前に、どうしたって朝、起きられない日々も長かった。疲れていることが日常で、それが暮らすことだとも思っていた。でも、ある時期を境に、私は憑かれることを指向するようになった。

そのきっかけもバッハのマタイ受難曲だった。そこには、死と復活と希望とが力強く響いている絶対の調和があって、人はこんな表現を作りあげることが出来る、と思うと泣けた。救われたように思った。
私はタウンページでバッハを歌う合唱団に電話をし、入団の希望を伝えた(もう、この辺りですでに憑かれた行動だ)。その合唱団の会長さんは「ではまず、ソプラノの先生に付いて声楽を習って下さい」と、先生を紹介してくださり、声楽を習うことになった。
「足の裏から息を吸い込み、おでこから響きにして出す」というような指導を受ける中で、私は自分の身体の足の先からつむじまで、確かにつながっていて、それをコントロールしているのだという意識を得た。それは、文系過ぎて運動と無縁だった私が体験した初めての強い身体感覚だった。
できる限り美しく、どこまでも遠くに響くよう集中する発声練習。不可視の彼方にある的に、自分の声を放つ感覚。美しく響かせるためには、しっかり立たなくてはいけない。疲れていては歌えない。
「声を当てると思ってはいけません」と先生はおっしゃっていた。当てるのは音程ではなくて、声の届く場所のことだ。「当てる」と思うと勢いが止まるのだそうである。自分が認識可能な的なんて近すぎるということだろう。
どこまでも遠く。辿り着かないどこか。そこを確かに感じながら、身体を使い、意識を集中する。そのレッスンは制作にも大きな影響を与えてくれた。

叶えたいことは、見えない彼方にある。見えないし、辿り着けないだろうけれども、確かに揺るぎなく美しい状態をたたえている。「そこ」に向かって、身体を使い、精神を集中して、精いっぱい響かせる。
「そこ」はいつだって遠くなのであって「ここ」じゃない。アート・ワールドの中にあることが美術なのだとしても、私にとって、なすべきことは見えない彼方に真っすぐ向かうことだけだ。そうして「そこ」に向かうことに憑かれているならば、疲れることなくつくることができる。

そんな私は、林卓行さんの意見に非常に納得できた。林さんの意見を私なりにまとめると「何が作品なのかなどと、判断することを前倒しするから、つくれなくなってしまう。なんのかんのと、つくっているのだから、とにかく、まずつくる。そして、つくった後に、つくりあがってしまったものを作品と判断する技術を持つべき。
現代において、技術は否定的に捉えられがちだが、今一度、技術を見直すべきではないか。技術とは、無論、構図を考えるとか、デッサンといった技術のことだけではない。時代や展示環境など全ての要素を、どう作品にまとめるかという技術をも指す。そして、制作から展示まで全ての過程を形式としてまとめる技術を持つことが、ひとつの可能性としてあるのではないか(そういったことをやったのはデュシャンではないか、という説明もあった)」ということだったと思う。

にしても、作家が思弁的に前倒しして、行動(=つくる)することができなくなったあげく、評論家の行動(=語る)の後追いしているように見える現代というのは、悲しい時代だと思う。
だから、ぜひ「つくることの不可能性」を意識しつつ、今回作品をつくり、あの場をつくった5人の作家のみなさんの言葉も伺ってみたかった、というのが心残り。オープニングパーティーまでいられたら話せたのかもしれないのだけれど、寒さに耐えられず帰ってきてしまった。冬コートを着ていけば良かったな。

耳なし芳一 

「耳なし芳一」が怖いか、怖くないか。
時折、この話題で私とOTTOは盛り上がる。OTTOにとって「耳なし芳一」は怪談噺ベスト1らしい。まんが日本昔話で「耳なし芳一」を見て、トラウマになるほど怖かったそうだ。
私は「耳なし芳一」が怖くない。子供の時、OTTOと同じくまんが日本昔話でこの物語を知った。その時も悲しくて美しい物語だと思ったし、今も、情熱的な悲恋話に通じるように思え、魅力的に感じている。大きくなって、谷崎潤一郎の「春琴抄」を読んだ時に、すうっと「耳なし芳一」を思いだしたものだ。

二十歳を過ぎた頃、同じ下宿の住人が「耳なし芳一ほど怖い話はない」と言い出し、私はびっくりした。一体どこが怖いのか分からなかった。あんなにも自分の演奏を聴きたくて夜な夜な呼んでくれるなら、干からびたって構わない、と、思う気持ちが私にはある。

その意味では「雨月物語」も「日高川」も切なく惹きつけられるけれど、雨月物語は、綺麗で健康な姿に化けているという狡さがあるし、清姫はあまりに支配欲が強い。だから、相手に逃げ出されてしまう。いかにも悲しい最後だ。
それに比べて、芳一と平家の怨霊には、偽りのない相思相愛の関係がつかの間であろうと、あったことは事実だ。芳一が耳を失った後、なお一層演奏が評判になった、というあたり「セロ弾きのゴーシュ」にも通じるハッピーエンドだと私は思う。

怨霊は、最初に呼びに来る時こそ武士に化けているけれど、芳一の琵琶に泣き崩れている時には、鬼火の姿に戻っている。芳一が彼らを「見ること」ができなかったから、成り立った関係であることは確かだけど、互いはひたすらに「演奏」を求めているのだから、相手の姿を「見ること」は重要ではない。
芳一にとっての「演奏」への思い、平家の怨霊にとっての「演奏」への思いは正真正銘、一致していたんじゃないだろうか。これは果ては死に至るとしても幸福な刹那だと思う。

「見ること」の出来る和尚は、武士が怨霊であると知り、芳一の身体に般若心経を書く。怨霊の手から芳一を逃がし、奪回したのは「見ること」の出来る和尚なのだ。「演奏=聞くこと」を巡る相愛の関係は「見ること」によって終わりを迎える。和尚が、耳に経を書きわすれてしまうのは「見る」人の象徴として理解できるように思う。そして、怨霊は「演奏=聞くこと」の象徴として芳一の「耳」を持ち帰るのだ。
(平家物語はそれ自体、作者・信濃前司行長が生仏という盲目の音楽家に教えて語らせたとも伝えられ、その後も琵琶法師によって口伝されてきたという「耳」の物語だ。)

「春琴抄」においては、春琴の美しさを記憶に留めるため、佐助は「見ること」を放棄し、2人は三味線の音と、美しい記憶の中で生きることを選ぶ。
(「春琴抄」を読んだのは中学くらいで、確かジュニア文庫かなにかになっていたものだったと思うのだけど、大人は時に危ないものを子供に与えたがるものだと今になって考える。佐助が眼を針で突く件で、私はその行為の耽美さにくらめいたものだ。例えばバレンタインでクラスメイトにチョコレートを贈ることを禁止するなんていうことをしているわりに、「春琴抄」だの「雪国」だの「人間失格」だの、推薦読書にするというのはどういうことなんだろう。)

美しいものは不可視の岸にある。そこから現世にやって来るのは亡霊であったり、聖霊であったりするのだろう。現世にあって不可視の岸に生きるためには「見ること」(に象徴される「判断」のようなもの)を放棄しなければならないし、現世に生き続けるためには「耳」を失う。そんな感覚を「耳なし芳一」は私に沁みつかせた。

「見る」者の目には春琴・佐助の晩年が幸福に見えたとは思えない。しかし、自らの目を捨てた佐助に、傍目=判断など無関係。2人は、現世の中で不可視の岸に生きたのだ。芳一の「耳」は平家の怨霊によって不可視の岸に辿り着いた。彼が生涯、琵琶の名手と呼ばれ続けたのもそのためだったろうと思う。

だから、私には「耳なし芳一」は怖くない。むしろ、抗い難いほど魅惑的な誘いなのである。

割り魔 

私はひと月に一度くらい、ガラス製品を割ってしまう。
気をつけているはずなのに、割ってしまう。

今日は仙台市卸町で今日から開催されている
Scale Out 2007」のオープニングの
シンポジウムに出かけた。

ずっと籠もって制作していたためか、離人感の強い一日。
日差しが眩しくて眼を薄めにして歩いていたら
テベストリアンデッキで転びそうになるし、
バスを乗り間違えてしまうし、
道に迷って、シンポジウムに遅刻するし、バスに酔うし。

帰宅して、ホッとしようかと思い、ワインをグラスに注いで、
何をどうしたのか分からないうちに、
思いっきりグラスをはじき飛ばし、
キッチンはワインとガラスの破片だらけになってしまった。
この「何をどうしたのか分からない」という、
自分の所作の記憶のなさに大きな問題があるのだろうなぁ。

私はすごく急須が好き。
良い急須を使いたいのだけれど、
買っても、何度も割るのでOTTOに
「急須は安物にすること」と決められてしまった。
コーヒーメーカーの入れ物も何度も割るので、
今は魔法瓶形式のコーヒーメーカーを使用している。

飛び散った破片を片付けていると、しんみり落ち込む。
私がヘの字眉で掃除機をかけていると
OTTOが、静かに微笑みながら言う。
「ガラスは透明だから、君の視界に入らないんだよ」
なぐさめられたのか、なんなのか、わからないなー。
「今回はものすごく勢いよく割ったね」と私。
「大山倍達か?ってぐらいにね」とOTTO。

シンポジウムについては
自分なりに思うこともあったのですが
そのことはまたあらためて。
今夜は、寝ます。とほほ。



「ふすま」 透き影について 

ふすま (住まい学大系) ふすま (住まい学大系)
向井 一太郎、向井 周太郎 他 (1997/01)
住まいの図書館出版局

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Amazonの内容説明は以下の通り
本のタイトルどおり襖障子をテーマにした、他に例を見ない、父と子の共著である。経師・表具師の家での生い立ちから、ウルム造形大学でのデザイン・思想の体得まで、その振幅のなかで語られた周太郎の内省的なエッセイは、建築史と言語学的奥行きに幼年期からの美しい追憶が、まさに襖を仕上げる技のように精緻に重ねられている。日本の住まいの光と陰、空気と肌合いが襖を通してまざまざと感じられるのである。そして、吉田五十八、村野藤吾、その他多くの建築家と協同して、日本の住宅や建築の要をつくってきた父・一太郎との対話は、襖がたんに空間を仕切る役割を越えて、日本の風土、生活、感性の体現であったことを、技術の核心から静かに解き明かす。



この本を読んで、自分が制作の上で考えていることが、絵画論として語られていることよりむしろ、建築論の中で語られていることに近いことに気付いた。例えば、箔を多用した作品「Pneuma」を制作していた頃にこんな文章を書いたことがある。

「光を受けるものとして、私は箔を選ぼうと思う。工芸的、装飾的と、とかく批判を受ける箔だ。しかし、日本絵画が装飾美術だった頃、金地の屏風は室内に身近な調度品として配置され、自然光や灯りを反射していた。実空間と仮象空間を自由に光が交わる。虚と実の同居。ほの暗い室内の中に描写を伴わない陰影が実現していたことだろう。
仮象空間と実空間を交差する光の上に墨でなおも光を描く、これが私のテーマである。墨の黒は五色を現すと東洋は言う。色は光である。だとすれば、色を内在させる黒である墨は「暗黒の光箭」そのものだとも言えるだろう。対峙する様々な二元的要素が一つになる(「一つ」になった要素は同時に「無数」の要素ともなる。)ことを私は祈りの中で感じる。その感覚の具現化を叶えたい。 」
全文はこちら

箔を選ぶ理由をその時にはまとめたのだが、あらためて読み直すと、自分が意識しているのは「どのように描くか」という絵画上のことではなく「作品がどのように空間の中に在るべきか」という点にあったとも読める。
当時の作品に対して「日本伝統の装飾性を意識した」とか「金地障壁画を意識した作品」といった評をいただくことも多かった。それは事実なのだけれども、金地障壁画の類いそれ自体を描こうと思った訳ではなく「光るものがほの暗い中に在ること」の方に私は惹かれていたのである。

「Pneuma」シリーズを最初に展示したのは、せんだいメディアテーク。伊東豊雄氏設計のこの建築は建築物としても評価が高く、6枚の床(プレート)と13本のチューブと呼ばれる鉄骨独立シャフトのみの構造によって立っている。全面がガラス張りであり中と外との一体感がある。
メディアテークのチューブは、伝統的な日本家屋の「柱」と建築思想が同じであるとも聞いた。そして、ガラスの「透過性」「透明性」というのは現代建築のひとつの要素なのだと「ふすま」で知った。ただし、「ふすま」においてはそのガラスについてこう述べている。

<「輝きの都市」ともいわれるガラスのスカイスクレーパーは、自然と人との間に成立する風土という固有の場所性あるいは方向性によって育まれた文化の「おもむき」からは遠く切り離された「透明性」の輝きではないでしょうか。スカイスクレーパーは、内部空間と外部空間との相互浸透が見られるといっても、人間の視覚性だけを切り取った透明性の閉ざされた空間にすぎません。」(第一章 ふすまという現象 より)>

はたして、私の金地作品をこの透明で閉ざされたガラスのビル内に展示した時どうであったかというと、日中は美しいケヤキ並木と日光、夜には周囲のライトが入り込むのを避けるため、しっかりと壁で展示空間を閉じさせて、ライティングを落とし、スポットライトで絵の所々を浮き上がらせるという方法をとった。つまり、透明性を拒絶して展示空間を作らなければならなかったのである。

金地作品はその後、何ヶ所かで展示する機会があったが、その度に展示空間、特に照明をコントロールしないと作品が思い通りに「見えてこない」ことに苦労した。その苦労は私に、絵画は建築物の中でしか存在できない以上、現代建築の明るさの中でどう見えるかを考えなければいけないことを肝に銘じさせた。(作品と作品をめぐる空間自体を作品とする表現であるなら、空間を作りあげ、照明を決めていくことは当然だけれども、私がやっているのは「絵画」なのだ。展示空間を完璧に思い通りに規定することは、作品としての自立力の低さになってしまうと思う)

「ふすま」では、桂離宮を例にして、旧来の日本建築における「透明性」をこう述べている。

<「桂離宮はおもにからかみ障子やあかり障子の構成が空間の透明性を形成していると思うのですが、ふすまや障子の透明性、日本におけるそれらの「透き」の現象性には、古代以来の「透き影」という概念に見られるように、透きの明るさだけでなく、絶えず「影」の期待が包容されています。それは光と影をともに含んだ透明性です。」(第一章 ふすまという現象 より)>

「光と影をともに含んだ透明性」という一文で、私は「あぁ、それだ」としばしぼう然とした。金地であることで目指そうとしたものは、現代建築の中では無理だということを感じた私が、箔の使用を止めて、描き始めたのが薄氷のシリーズであり、それはまさに「光と影をともに含んだ透明性」を薄氷の中に見たことから始まっている。
私にとって今の目標は「光るものがほの暗い中に在ること」という状態ではなく、明るく照らされ、無機的に開かれた現代の空間の中に「透き影」を呼び戻すことといえるかもしれない。

それでいいの?と思うけど 

ちょっと家事をして、10時になったら山のアトリエに行く。
制作をして、夕方6時になったら家に帰る。
そんな毎日が続いている。

山のアトリエは隣家も遠くて人の気配がない。
自分が立てる音以外、無音に近い。
私は制作中、もう何十回と見た「刑事コロンボ」をかけている。
すっかり暗記してしまった台詞が繰り返されると落ちつく。
父が歌ったり話しかけてきたりするのと、
犬が吠えるのと、鳥の声と、小池朝雄 笑。

コロンボ2話で大体3時間。
2話かけ終わったら休憩。
時々、白湯を飲む。
あたたかなお湯がのどを通るとほっとするし、
気分転換になる。
コロンボ5話から6話が一日の制作時間。

1mくらいの脚立に登って絵を見渡す。
4mの絵を制作中なので、そのくらい高くないと全体が見えない。
脚立のてっぺんで「ここはもっとこうかな」なんて考えていて、
ふいに不思議な気持ちになる。

社会ではいろいろ起きているのだろうに、
自分はこんなところで、ただ絵を描いている。
脚立のてっぺんに座ったりしてる。
古いテレビドラマを時計代わりに、
ぐるぐる再生し続けて。

どこに行きたいということもさほどなく、
誰に会いたいと思うこともあまりない。
絵を描いて、
白湯飲んでほっとして。
これって、あまりにどうなのだろう?
と、思いもするが、
制作で頭がくたくたになる夕方には、
それなりの充実感があって幸福なのだ。




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