OIKAWA,Satoko blog

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個展のお知らせ 

20070821172646.jpg
「視」182.0×455.0cm 麻紙、膠、墨、胡粉、岩絵具



個展、間近となりました。
ご多忙中とは存じますが、ご高覧いただければ幸いです。

会期 2007年8月27日(月)~9月1日(土)
   11:00am~7:00pm[最終日 5:00pm まで]
会場 ギャラリー山口
   ・ギャラリー山口HP

   地図等、情報が載っています。


今回は、2004年からはじめた薄氷のシリーズを展示いたします。
残暑の厳しい時期ですが、作品は雪と氷です。
ご覧になった方が、あのキンと冷えた冬の日を
感じていただければ幸いなのですが。

会期中は、基本的に会場にいる予定です。
ぽつんとしていると思いますので、
どうぞお声をかけて下さいませ。

ということで、
ブログの更新は会期終了までお休みいたします。
会場で心よりお待ちいたしております。

                   及 川 聡 子




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自分用の中也の詩論 

昨日の記事で、
"「手」と名辞される以前の「手」を謳わなければいけない。"
と、中原中也が言っている。と書いた。
これは、私が中也の言葉とエピソードを足して、
自分用に短くした一文だ。中也の言葉そのものは以下の通り。

 「これが手だ」と、
 「手」という名辞を口にする前に感じている手、
 その手が深く感じられていればよい。
          (芸術論覚え書 より  中原中也)

私は高校時代、この言葉を読んでいたく感銘した。
その通りだ、と思った。
薄暗い学校の書庫で、
なんだか真理みたいなものを知ってしまったような、
もう、これさえ知っていれば、
世の中、どんなに大変だろうが生きていけそうな、
そんな気分になったものだ。
なにしろ、青年期の入り口だもの。
今や、30も後半になっている訳だけれど、
この言葉は、未だに私にとって懐刀のままだ。

名辞される前の世界を知覚出来さえすれば、
世間の価値観も評価も常識も、
私を捉えることは出来ない。
そう信じることは、私を強くしてくれる。

中也のエピソードの中に、
親友の評論家・小林秀雄と小説家・大岡昇平を前にして、
中也が「評論家と小説家と詩人の中で、詩人が一番偉い」
と言って大げんかになった、というものがある。
確か、大岡さんが書いていたように思うので、事実なのだろう。
小説家はどうだ、と言ったかがどうしても思いだせないけれど、
(確か、小説家の言葉は説明だとか、
そういうことだったような気がするが、これは確かではない)
評論家は作品がないと何も書けないからだ、と中也は言い、
詩人は自分の作品を
「歌うことが出来る」から偉いと言い放った。
中也という人は、友人たちには実に辛辣でいじわるだったらしい。
(小林が中也について書いた文章もまた厳しい評なのだけれど、
そこには2人の優しいばかりでいられない深い関係が感じられる。)

「自分の作品を歌うことが出来る」ということもまた、
私の中に、強烈に沁みた。そうか、歌うのか、と思った。
そして、喧嘩になったのか、素敵じゃないか、と思った。
だから、小林秀雄は私の中で何より中也の親友
という印象が強かった。
後に、小林の著作を読む時も、私には立派な評論家
としての言葉ではなく、人の言葉として読めた。
それがとても良かったと今思う。

「歌う」を「謳う」と頭で変換し、
芸術論覚え書の言葉と合わせ、
しかも、それを自分に課する、ということで作ったのが
"「手」と名辞される以前の「手」を謳わなければいけない。"
という要約。自分用の「中也の詩論」。

十代の頃から、私を守ってくれている言葉。
私が、何か神妙な顔をして
手のひらを握ったり開いたりしている時は、
名辞以前の手を探っている時かもしれません。



名前 

昨日「日本画」について触れた記事を書いた。
でも、今、麻紙、墨、膠、岩絵の具で制作しているけれども、
それを「日本画」なのだ、と、ことさらに思っている訳ではない。

私はどうしても、成り立ちとか
言葉の本来の意味、などを気にしてしまうので、
「日本画」という名前にも、
いろいろ考え込んだ時期が長い。
どうしたって考えさせられることが多いんだもの。

「日本画とは何か」いうことよりも、
私には「日本画と呼ばれる意味」の方が、
重たく、ややこしく思われる。
名前というのは、自分のためにあるように見えて、
実は、呼ぶ側のためにあるのに似ていると思う。

私の作品が何と呼ばれるか、
それを意識しすぎるのは、
作品の意味を外側に求めるようなことになりかねない。
だから、そういうことは、
しばらく言葉にしないようにしようと思う。
言葉は名前で、名前は誰かのものだから。


「手」と名辞される以前の「手」を謳わなければいけない。
と、中原中也が言っている。
クレーが「彼岸に建設する」と言ったのも、同じ意味だろうと思う。
私はそれに倣いたいと思う。

クレーについてのエントリー

「近代」と「日本画」と 

「日本画」の転位 「日本画」の転位
北沢 憲昭 (2003/03)
ブリュッケ

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個展が間近に迫ってはいるが、どうにか今日は宮城県美術館で開かれている展覧会「日本彫刻の近代」を見にいきたいと思っていた。会期は9月17日までなのだけれど、8月18日の今日、北澤憲昭さんの美術講座がある。テーマは「"彫刻"の形成ー日本近代美術に則して」ぜひ、聞きたかった。今日は誕生日でもあるし、今日くらいは、と思ったのだけれど、やはり制作をしないといけない誕生日になってしまった。とても残念。

現代「日本画」と呼ばれる「絵画」を制作する人は、大抵ジレンマを抱えている。なぜ、日本画を描くのか、といった問いを周囲からも、自分自身からも常に発せられているように思う。私は、日本画科のない大学で4年間、日本画材を用いて制作をしていた。その間、感じ続けた「なぜ日本画を」という思いは、その後もずっと心の奥にあり続ける。
日本画というのは膠絵だ。素材として日本画材を使っているに過ぎない、という言いかたもよくなされるのだけれど、ことはそんなに単純じゃない、と、当時から私は思っていた。「日本画描いているの?」と聞かれるたびに、その問いの中に感じる薄笑いのようなものが、一層私を「日本画」に縛りつけたように思う。軛のように思うなら、下ろせばいいと思いつつ、簡単に下ろすのも安易に流れるように思えて、グズグズと「日本画」について考えることが多かった。

そんな時、読んだのが北澤憲昭さんの"「日本画」の転位"。私がぼんやりと思っていたことが言葉にされているようで勇気づけられた。現在、私の考えや制作姿勢は、この本を手にした時と変わっている。今は「日本画」と呼ばれても「絵画」と呼ばれても「平面」と呼ばれても、それを軛とは思わなくなりつつある。そうなるためには、あれだけ「日本画」と呼ばれることがどういうことか、考えた時期が必要だったのかもしれないと思う。北澤さんの言葉は、その大きな助けになった。

「近代」美術、というものも、西洋においての意味と、日本においての意味は多いに異なると私は思う。西欧化とか、ナショナリズムとか、日本においてはそういった意味が含まれていただろうと思うからだ。それらを「つまらないことだ」と、速効、美術の普遍性みたいなことを信じるというのは安易過ぎるように思う。
だから、私は明治の作家たちが好きだ。塑像に負けないリアリティーを木彫で叶えたいとした努力も立派だと思う。西欧と対峙して、その異差の意味を制作の中で懸命に模索したたくさんの作家たちを私は尊敬している。「日本画」という名前はそういった中で編み出されたきたことを、私は忘れないようにしたい。

忘れずに、そこから、どう自由になるか。私にとっての「現代」の意味は、そういうところにあるように思う。

ビックマックのせいなのか 

このところ、ポップスを長時間聴けない。
CD1枚か2枚で、だんだんきつくなる。
クラシックなら、ぼんやりずっとかけていられるのに。

これって、もしかして、歳?と、ふと思う。

今年は暑いので、水をたくさん飲む。
以前なら、桃水とか、うっすら味の付いた
清涼飲料水を好んでいたのに、
最近は水が一番美味しい、などと思う。
氷を入れた水を、一口ずつ、
のんびり飲んで、身体に染みる感覚を楽しんでみたり。

これも、もしかして、歳?

お昼、あまりに暑くて食欲も湧かず、
そうめんを食べただけだったためか、
夕方、空腹に襲われて
「ビックマックが食べたい」と言ったら、
私がそういうことを言うのは面白いから、
とOTTOにマクドナルドに連れて行かれた。

80年代の終わりから、90年の始め。
ハリウッドの娯楽超大作といえば、
絶対に、外れなく面白くて、
そういう映画を見る時は、
決まってビックマックを食べたものだった。
「スピルバーグが恐竜の映画を撮ってるらしいよ」
と、OTTO(当時は独身だけど)が言えば
「わ、それはビックマックだね」なんて答えた。
そんな、ビックマック。
久しぶりに食べてみれば、少しも美味しくない。

帰宅後
「さ、制作しよ。ビックマックも美味しくないし。
これって、歳なのかな?
最近はファンタオレンジなんて、ちっとも飲みたくない。
子供の時は、ファンタとお肉だけ食べられたら
天国と思っていたのに」
と、私が言うと、
「いや、歳のせいじゃなくて、
ビックマックがまずくなったんだよ」とOTTOが言う。

90年を過ぎて、面白いはずの娯楽映画が
面白くないことが多くなった。
ビックマックも美味しくなくなった。
それは、それらが不味くなったんだろうか。
それとも、歳のせい?

きっと、どっちもなんだろうなぁと思いつつ、
今日はセルの指揮するモーツァルトをかけている。



内語 

私のあごにはほくろがあります。
もうちょっと口に近ければ
「一生食に困らない」というたいそう嬉しい吉相ですが、
やや、あごに寄っているので、
そうすると、これは
「口が災いする」という、困った相になるみたいです。

私はおしゃべりで、
いらないことを言ったり、書いたりして、
謝ったり、弁解したりすることも多いので、
このほくろは「口が災い」の方なのかもしれません。

黙っていよう、と思うのですが、
黙っていると、頭の中に内語があふれて、
どうにも困ったりします。
そんな時は、何度も見古した映画やドラマをBGMにして、
台詞を聞き取ることで、
自分の内語をマスキングしたりします。

こういう状態が酷くなる時は、
大抵下描きを始めた時。
考えごとのスイッチを入れたことで、
言語と視覚と両方活動し始めるのかもしれません。
下描きが乗ってきて、決まったりすると、
内語が納まって、鼻歌が出てきたりします。
本画に移って集中すると、
言葉の類いが後ろに引いて、
視覚的な思考で頭が満たされるので、
文章が書けなくなることもあります。
これは、とても気持ちのいい状態なので、
早く、そうならないかなぁ、と思っている今日この頃。

今日は、下描きの仕上げの日。
鼻歌が出てきますように。


リカちゃんとキャンディと 

rika.jpg

この間の引越で、頑張って捨てようと思いながら
捨てられなかったのがおもちゃ。

house.jpg

これはリカちゃんハウス。
私は2代目リカちゃんの世代なので、
このハウスに貼ってあるのも2代目リカちゃん。
もちろん、当時のリカちゃんは今でも大事にしている。

hou2.jpg

カバンを開けると、リカちゃんのお家。

basya.jpg

これはリカちゃんの馬車。
幼稚園時代「将来なりたいもの」を絵にさせられた時、
「お菓子屋さん」「先生」などを描いている周囲を意識することもなく、
「王子様と結婚したお姫さま」を描いた私なので、やはり、馬車は必需品。

misi.jpg

これはキャンディ・キャンディ マイミシン。
キャンディ・キャンディは
あまりにいじめられたりするので、
私は途中から見るのをやめてしまった。
確か、キャンディが指輪を盗んだというぬれぎぬを着せられる
というエピソードの時から見なくなったと記憶している。
でも、キャンディの1/6人形も持っていたし、
抱き人形のキャンディもとても欲しかった。
ごくごくまれに、Yahoo!オークションに出品されているのを見ると、
未だに入札したくなってしまう。

oru.jpg

これは、バンビのオルゴール。
曲は「この子の七つのお祝いに」である。
なぜか、メロディーは思いきり日本。
私が赤ちゃんの時のものだから、
たぶん、我が家にあるおもちゃの中で、
これが最も古いと思う。

これらのおもちゃは、関東暮らしをやめて
宮城に戻った5年前に、親が
「あんたが保管しなさい」とよこしたもの。
どのおもちゃもおどろくほど状態が良くて、
傷も汚れもほとんどない。
学生時代~結婚して数年の間、
私の代わりに保管していた親が、
大事にしていてくれたことがよく分かる。

かなりかさばるのだけれど、
やっぱり捨てられない。
オルゴールを鳴らせば、
ちょっとくすぐったい気分を味わえるし。
宝物、と、言っても良いのかもしれないな、と思う。

パラレル 

行こうと、必ず行こうと思っていた展覧会に行きそびれてしまいました。
宮城県美術館、県民ギャラリーで開かれていた
第10回 日韓現代美術交流展。
何人かにDMをいただいていたし、
知っているあの人や、この人も出していたそうだし、
行けなかったことが申し訳なく、心底残念。

確かに、もうすぐだ、と思っていたはずで、
行かなくちゃ、と思ってもいたのに、
朝起きて、制作途中の絵を見ると、
「ここをこうしなくちゃ」などということで
頭がいっぱいになってしまって、
もう、今日が何の日だったか、飛んでしまうのです。

ご飯食べなきゃ、もう2時だ、
などと思うのに、
同時に、全く違う自分が、
「もうちょっと、これを強めないと」
なんて、思っているうちに血糖値が下がる。

今、その時、手に触れているもの、
目で追っているものに、すっかり取り込まれると、
今日が何の日であるのか、
今が何の時であるのか、
全くわからなくなってしまうのです。

これが、本当に小さいことから大きいことまで、
私の人生に支障をきたすのであります。
先日、5年も前に住んでいた町の市民税が、
驚くほどの延滞料を膨らまして、
催告されてしまいました。

事務手続き
日にちの確認
待ち合わせの時間
待ち合わせの場所
大事な〆切り

それらはどうも、
私の中から、どんどんこぼれていくもののようです。
耳からもこぼれるし、頭からもこぼれます。
自分では頑張っているのですが、
ワーキングメモリが小さすぎるのでしょう。

大学時代、
学籍番号を4年間どうしても記憶出来ず、
しかも、学生証を忘れて学生課を訪れ、
事務手続きの度に、
学籍番号を書き込めずにあたふたした私。
再三そんなことを繰り返すうち、
とうとう、とある事務員の方が
私の学籍番号を暗記して下さって、
パニックをおこす私に
そっと番号を教えてくれるようになったのでした。
懐かしいなぁ、あの優しい事務員さん。
卒業式には並んで写真を撮らせてもらいましたっけ。

空間と時間は、ひとつのものとして
私の周りに、存在し、流れていると
どうしても信じられません。
それらは、パラレルに層となって
重なって存在し、流れているように思えてなりません。
その内の、2層か3層、
その程度しか同時には把握出来ない私です。

あれも、これも同時にあるなんて、
こんな複雑さ、
みんなはどうして上手くやっていけるんだろう?
時々、本当に情けなくなります。

雨が降っている時、外出すると、
晴れた瞬間に傘のことを忘れてしまう。
もう、何十本も傘をなくしてしまった。

そうやって、なくしたものは
果てしないほど多い。
結局は手ぶらで、今、私をトリコにしているもの、
それだけで頭をいっぱいにするしか
自分には生きようがないのかなぁ、
などと、しょぼくれる今宵なのでありました。

不思議なもの、に 

今度の個展に出品予定の新作がもうすぐ描き上がる。

最近、仕上げを前にする時には
「絵」になり切ってしまわないよう心がけている。

絵が展示してある空間に入った人が、
「絵がある」とすぐ理解するような作品ではなくて、
「あれ?何だろう」と、
一瞬、不思議に思ってもらえるような存在を
作り上げられたら良いな、と思う。

仕上げの時には、どうしても
細かな所が気になって描き固めがちな私だ。

画面の中で完結しきってしまわないように、
絵が、絵として固まってしまわないように、
答えが、絵の中ではなくて、
絵と、それを見る人との間に生まれるように、
と思う/願う。

夭折(靉光展に) 

夭折ということが、その表現者を特別に見せるということがある。夭折の表現者の作品や演奏には、強いきらめきがあることも事実だと思う。私自身、敬愛する表現者に夭折の人は多い。菱田春草、速水御舟、村上槐多、関根正二…そして、靉光。今回、宮城県美術館での「靉光展」を見て、あらためて、靉光の緊張感と強さとカッコ良さに打たれつつ、夭折ということの意味を考えたりした。

夭折というのは悲劇だ。だから、人は夭折の表現者を悲劇的に彩って伝説にしてしまう。そのために、作品や演奏までも、文学的な目線で悲劇的に受け止められてしまうこともある。

例えば、チェロ奏者のジャクリーヌ・デュ・プレ。彼女は42歳で亡くなった。しかも、難病の為、実際演奏出来たのは28歳まで。わずか10年程度の活躍しかない。このことが、彼女の伝説を作り上げたとも言われる。
しかし、当然のことながら、彼女の素晴らしさは若々しく伸びやかで、力強いその演奏にある。彼女の妹と弟による手記から作られた映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』 。あれは私としては嫌な映画だった。赤裸々な私生活など語られたところで、そのことの一体どこが「ほんとうの」なもんか、と思った。
私は涙腺が緩いので、デュ・プレのエルガー「チェロ協奏曲ホ短調作品85」を聞けば、どうしたって嗚咽が込み上げるのだけれども、それは彼女の悲劇を思うからじゃない。切ないメロディーを、駿馬のような響きで奏でられるからぐっとくるんだ。

夭折は悲しい。そして、とてもくやしい。関根正二の生涯について、友人だった今東光が語っているのをテレビで見たことがある。関根の絵を愛おしげに、誇らしげに語りながら「今の若いやつらは何をしているか」みたいなことを言っていた。命のロウソクがあるのなら、そこら辺の「若いやつら」のロウソクをポキッと折って、関根の命につぎ足してしまいたい、そんな勢いで。

靉光展には、有名な自画像3点が並んで展示されていた。身体が何かに強く押されたように傾いでいる。あの緊張感。絵の外にまで、その圧力が及んでいて、見ているとその力に抗うように首の辺りが痛くなる。
私が始めて見た靉光の作品は、その自画像の中でも最も有名な、身体が正面を向いて、首も真っすぐで、顔の表情だけが険しく曲がっている絵だった。中学の教科書だったろうか?私は「なんて変な構図だろう」と思った。
顔は怒ったような困ったような表情で横を向き、身体は正面向きで、壁のように大きい。画面の半分以上が胸部のように描かれている。子供の私には、戦争に向かう時代の中で絵筆を取る画家の気持ちなど分かりようもなかった。ただ、壁のように、崖のようにそそりたつ身体の正面性と、苦悩する顔の対比が心に残って忘れられなかった。

靉光は、戦争で病となり亡くなった。止めようのない強さ、ギリギリとした緊張感。それは、靉光の類い稀な技術力だけから発せられたのではないだろう。若く「これから」に向いて、駆け上がろうとする表現者としての命の豊かさから生まれていた力だと思う。多くの夭折の表現者がそうであるように。

早すぎる死は、悲しげな彩りを与えられる為に受けた運命ではない。短く生きたからこその、作品の完成度とか切実さといったものを感じさせる為でもないだろう。
あの自画像の、真っすぐにこちらを向いて立つ身体。白い絵の具の大きな面。若すぎる死をもたらす戦争という運命に、おののきつつ、堂々と、胸を広げる「若い身体」の強さ。

なぜ、夭折だったのか。夭折だったからの表現だったのか。それは、語れば語るほど、表現そのものから遠のくだけのことのように思う。駿馬のような若い力に焦がれるままに、ただ、そのもぎ取られた命を惜しむこと。夭折の表現者を前にしてするのは、そういうことだけなんじゃないか、と思った。

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と、今回は「夭折」ということについて考えたことをまとめたのだけれど、靉光の作品は決して「夭折」などということで語られるべきものではないし、展覧会でも夭折、というようなことはことさらには提示されていない。
靉光の制作をいくつかの時代に分けて、作風の変遷を分かりやすく見せている展覧会だったと思う。私自身は、靉光といえば油彩とシュルレアリスム、と思い込んでいたいただけに、日本画筆をたくさん使用しているのは驚きだった。魚のスケッチの筆使いの洒脱さもカッコよかった。面相筆によるハッチングの描き込みにも息を飲んだ。圧倒的な靉光の技巧と、その技巧を凌ぐ、迫力ある描き込み、その密度が産み出す磁場みたいな緊張感を堪能する展覧会だった。
作品を見て、堪能して帰途に着く。こういうことはかなり貴重なことだと思う。そしてそれは、やはりあれだけの描き込みというものを見せられたことからくる満足でもあると思った。描き込めば良いわけではないけれど、必死な行為の累積というものには、やはり心を動かされるものだと思う。

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