OIKAWA,Satoko blog

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
trackback: -- | comment: -- | edit

明日から 

明日、1月30日より、宮城県美術館におきまして「アートみやぎ2007」が開かれます。私も出品させていただいております。ご高覧いただければ幸いです。

●特別展「アートみやぎ2007
会期:2007年1月30日(火) - 2007年4月8日(日)
   (休館:月曜日。ただし、2月12日は開館)
料金:一般800円(700円)高校大学生400円(300円)小中学生300円(200円)
ただし、( )は20名以上の団体料金

出品者:石川舜 翁譲 加藤千尋 木伏大助 
    佐藤淳一 タノタイガ 樋口佳絵 及川聡子 

宮城県美術館へのアクセスなどは美術館のサイトをご覧下さい。
●宮城県美術館ホームページ

スポンサーサイト

展示完了 

miya3.JPG
(日通の皆さんと学芸員Kさん。スレンダーで活き活きした方)

昨日、「アートみやぎ2007」の展示が完了しました。
これまで経験してきた展示の中でも
今回は特に、たくさんの人が支えて下さいました。
心から感謝いたしております。

展示=自分の制作の一部と思わねばならない
と、指導を受けてきたのですが、
気質も知覚も近視眼的な私のような場合、
自分の思いをある程度放してしまって、
作品を見る側の人の目線にゆだねることも必要なのだな、
と、あらためて学ぶ機会となりました。

制作というのはいつだってひとり。
出来ないことも、苦手なことも、
ひとりでどうにかするものです。
不安に思うことも多いですが、
共同作業が苦手な私には、
ひとりきりであることが
一番性に合っていて、
また、大切なことだとも思います。
ひとりで「よし、ここで出来上がり」
と、筆を置いたら、
そこからは、絵は私だけのものではなくなる。
むしろ、見る人のものになっていく。
作品が自分の手を離れて、
他の人の手の中でも、
大切にしてもらえている姿を見るのは、
これ以上なく、幸せな感覚でした。

マラソンの選手が、ゴールまで走り切って、
そのあと、コーチやマネージャーが
大きなタオルで身体を抱いてくれるシーンを
よく見かけますが、あの感じ、
あのタオルはホッとするだろうなぁと思うのです。
あそこで心底ホッとするには、
テープを切るまではひとり、
ベストを尽くさねばならないし、
タオルで包んでくれる人が
信頼できる人でないといけません。
私は、昨日、ホッとできました。
これはとても幸福なことだと思います。

学芸員のMさん、Kさん、
日通のみなさま、
本当にありがとうございました。

miya.JPG
(エレガントな立ち居振る舞いをされるのに、実はアウトドア派な学芸員Mさん)


生きものの記録 黒澤明 




ツボカビのことで、思いだした映画。
黒澤明の「生きものの記録」

地球は一体どうなりました?
人はまだだいぶ残っとるじゃろうか?
いかんな、それは…それは、いかんぞ
早く逃げないとえらいことに
何故それがわからんのか?
早くここへ。この星に逃げてこなくていかん。
あーッ燃えとるぞ。
地球が燃えとるぞ。
燃えとる。燃えとる。

工場を経営する老人・喜一が原水爆の放射能から逃れるため、家族(内縁の妻とその子供も)全員でブラジルへ移住しようと独断で計画。家族に反対され、最終的には精神病院に収容されてしまうというストーリー。

この映画は環境問題がテーマではない。でも、現実に一大事なことがあるのに平然と日常が繰り返されていることの不合理さを、喜一という人物が象徴している気がするので、今回、思いだしたのだと思う。

上記はラストシーン、病室、鉄格子のはまる小窓から、太陽を地球と思い込んだ喜一が言う台詞。喜一(三船敏郎)の「燃えとる。燃えとる」がいつまでも心に残る。燃えとる、と慌てふためく姿が滑稽で痛々しい。喜一を哀れな妄想者にしてしまったのは誰か。喜一のいだく恐怖は、妄想ではなく、現実であるのに。

この映画、おどろくことに、ホームドラマでもある。切実なテーマなのに、なんというか元気で破天荒で活力がある。ヒューマンドラマ、というのはこういうものなのだろうな、と思う。作り手も出演者も人間味が豊かで、観客の人間性について、いささかも不信を持っていない感じがする。自分たちが熱心に訴え、表現すれば伝わるはずだと自信を持っているように感じる。

(作り手、といえば、黒澤の映画の音楽を多く手がけた作曲家・早坂文雄は、この作品が遺作。早坂文雄の音楽+黒澤の白黒の画面、これが私は大好き。)

タルコフスキーの「サクリファイス」は、この映画へのオマージュなのかなと思う。「サクリファイス」は美しい映画だけれども、私は喜一の「傍目には滑稽」という姿、みっともなさ、そういうところがこの映画の大事なところだと思うので、美しく、カッコよくしてしまっては元も子もないと思う。事実、私には「サクリファイス」の終末的なシーンが幻惑的で魅力的で、あんなに素敵なら終わるのも素敵、と思いかけてしまったもの 笑。

まとまりのない文章だけど、せっかく思いだしたので。
未見で興味のある方、是非ご覧下さい。



ツボカビ症 

カエルの危機、その2です。

私はカエル、ふつうに見かけるアマガエルが好きです。トノサマガエルも「立派だ」と惚れ惚れします。でも、今回の問題は、カエルが好きだから云々、ということだけではないのです。

私は、生態系が崩れる、というようなことに過敏に反応してしまうようです。例えば「地球の温暖化によって、ものすごい勢いでサンゴ礁が死滅している」というニュースを聞いてからというもの、暖冬の今年は「今日も暖かだな」と思うやいなや、もののけ姫の後半、シシ神の首から流れ出た体液で森が死んでいくシーンのように、サンゴ礁が死滅していくビジュアルが頭の中で繰り広げられて落ち込んでしまいます。
そんな私ですので、ツボカビ症のことを知ってからというもの、あのツボ状の真菌が川を泳いでカエルや山椒魚に取りつく姿が想像されてしまって、たまらない気持ちに陥っている訳です。

ツボカビは元々いたものだそうです。DNAを調べると、今猛威を振るっているのは新種のツボカビらしいとのこと。また地球温暖化の影響で、変温動物であるカエルの体温がツボカビの繁殖最適温度と重なり、カエルへの感染が強まったとの見方があるようです。

カエルは両生類ですが、両生類というのは、肌がなんとも頼りなく見えます。実際、両生類の皮膚は透過性が高く、水や空気などの環境の変化に他の動物よりも素早く・敏感に反応することから、「炭鉱のカナリア」の如く、地球環境の指標とされるそうです。両生類の減少、絶滅は、生態系全体の危機を、その繊細な皮膚によって知らせてくれている訳です。

中米パナマでは、ツボカビが流出して、たった2ヶ月でカエルが全滅した地域もあったそうです。カエルが死滅すれば、カエルを食べていた鳥類など他の生物の命も脅かされます。そして、カエルが捕食していた虫達が異常に増えてしまう、ということにも繋がります。
両生類の絶滅、減少については1970年から、科学者の間で問題として取り上げられていたそうです。種まるごと絶滅するような規模で、どんどん姿を消している。そのことについて、語られている資料を参考までに。
両生類保護サミット ワシントンDC、2005年9月17~19日 宣言

自分が自分の出来る範囲で、何が出来るのだろうと、考えずにはおれません。



カエルの危機 

カエルなどの両生類を絶滅させる恐れがある
「ツボカビ症」が、昨年、日本でも確認されたそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070112-00000044-mai-soci
私はカエルが大好きです。ショックです。
両生類を飼っている方は、
ペットが死亡した場合、動物病院等に相談し、
水槽などの水は、下水に流さないように、とのこと。

■ツボカビ症について詳細がわかるページ
WWF ジャパン  http://www.wwf.or.jp/
麻布大学 http://www.azabu-u.ac.jp/

そのような気持ちで 

展覧会の図録用と思って書いた文章。少し、ポエム過ぎるかもしれないし、ひとりごとみたいだから、ボツにした。でも、本心なので、記録しておこうとUPする次第。


-------------------------------------------------------


私は絵画を信じていたい。絵画を信じる時、私は視るという行為に真摯になる。そして感じていながら視ることの出来ない多くのことに気が付く。風や匂い、音、気配、それらは確かに知覚されていながら視ることはできない。
不可視性を鋭敏に意識しながら、無理は承知で、それを視ることの出来るものにしたいと願い続ける。絵を描くというのはそういうことなのではないか、と、思う。

  見えないもの達は、けれど時折、私の視覚に触れる。

  無色透明な風に深い青を感じ、
  眠れぬ夜半時に緑がかった灰色を嗅ぐ。
  墨の香りは紫色を含ませて、私の中に染みていく。

私は視ることを信じていたい。視覚を信じる時、私は重い身体をするりと抜けて、さまざまなものに入り込むことができる気がする。まったくの目になった私は、あらゆるものに潜り込むのだ。

  手のひらにおさまる小石を凝視して、潜り込む。
  小さいはずの小石は、どこまでも広がって私を包んでしまう。
  小石と私の境界が曖昧になる、
  あの幸福な感覚を、そのまま画面に映すことを願う。

私は描くという行為を特別に、大切にしていたい。私に訪れたイメージと作品を繋ぐのは「どのように描くか」ということのみである。だから「この方法でしか表せない」ということに誠実に向かわなければならないと思う。行為に必然性があるようでいたい。必然を感じないうちに描くことは慎もう。

  私の行為が、絵画に対して清廉でありますように。
  知覚された美しさを一片たりとも汚しませんように。

  与えられた純粋なものを、そのまま差し出すように、
  私は描いていきたいと願っている。

4日 

のび太がドラえもんに
「もう4日だ。3日を過ぎると、もうお正月という気がしない」
と嘆いているのを読んで、
子供の私は「ほんとだ、ほんとだ」と思ったものだ。
大人になった今も、のび太のこの気持ちには共感する。
と、いうか、のび太というのは、実に老成した少年だと、
大人になった今、つくづく思う。
大人になったからこそ、共感するのかもしれない。
「お正月気分は3日までだ」と言うのび太には共感したけど、
のび太の他の発言と行動には、諦念と怠慢さが満ちあふれていて、
子供の私には理解出来ないことが多々あった。

OTTOもドラえもん好き。
当時勤めていた会社の人に
「結婚祝いは何が良い?」と聞かれたOTTOは
「ドラえもん全巻」と答えたため、
わが家には、長編を含む全巻が揃っている。

あまり疲れると、眠る気にもならずダラダラしてしまう。
そんな時にドラえもんを読む。
全編を通しての、完全完璧なるのび太ののび太っぷりに、
感心しているうちに「よぉし、寝よう」と思う。
まずは寝て、宿題は後で、と思えてくる。

さぁ、しかし、4日である。
のび太までもがお正月気分から脱するのだから、
私も日常に戻らなければなりません。


初夢 

ヨーロッパのどこか。
新進気鋭ながら評価されている交響楽団が、
とある青年をデビューさせようとしている。

青年は、ブロンドの髪を腰まであるおさげにしていて、
前髪をパッツンと切った妙な髪形。
緊張するらしく「Water!water!」と叫んでる。
肌が鮫肌みたいで、まつ毛が赤くて、
骨張って、目だけが大きな青年。

ピアニストなのかな、と思っていたら、
いつの間にかバレエが始まる。
青年は、なんと「プリマドンナ」なのだった。
彼の踊りはどうしようもない。
長い手足を中途半端に動かしているのみ。
緊張しすぎて、ガタガタの様子は見るに堪えなく、
踊り終わって、また「Water!」と言っている。
しかも、自分の踊りがひどいという自覚もないようで、
ただただ舞台が終わったことに安堵している様子に
私は「みっともないなぁ」と思うのだった。

「男性でありながら、
 世界初のプリマドンナとなった彼の心臓は、
 しかし、女性の心臓よりも女々しかった」

という酷評が評論家からなされた、と
新聞記事に書いてあるのを読んだところで目が覚めた。

どんな意味があるのか、ちっとも分からない。
青年が私にとって何なのかがわからないんだもの。
もう1人の自分、という気もしないし、
誰かのことを暗喩しているとも思えない。

舞台となっていた場所は、ロココ風の宮殿で、
白い柱が金のレリーフで飾られており、
華やかで綺麗だった。
シンフォニーは聞こえず、
ただ、みっともないパントマイムのように
手足をばたつかせていた青年。
でも、化粧をした青年の顔は、
確かにプリマドンナ風になっていて、
それがなおさら哀れに思えた。




今年の抱負 

みなさま、今年もよろしくお願いいたします。
2007年が、みなさまにとって、
幸せ多い一年となりますことを
心よりお祈りいたしております。


今年の抱負はふたつ
・もっとシンプルに
・あっけらかん

今日、やっと年賀状の準備を始めました。
お世話になっているみなさま、
遅いごあいさつですみません。。。
あ、ここで今年はしょげません。
遅くなってしまった分、
心を込めることのほうに
気持ちを向けるのが良いはずだもの。
そんな風に、前向きに。
引いたり、かけたり、Xを求めたりせず、
足し算だけの計算のように、
日々を重ねて暮らそうと思う元旦なのでした。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。