OIKAWA,Satoko blog

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あれか これか 

時間は、決して多くはない。
だから、決断して進まなければならない。

あれか これか

愛娘犬と人形と、そして何より制作と。
それから家族。幾人かの友人。

煎じ詰めればこれが私の全て。それで、よい。

とはいえ、

決断して選びとるのは
             つらいなぁ。



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楳図かずお 

楳図かずおは、現存する表現者の中で私が敬愛する1人。好きな漫画家を問われたら、筆頭かもしれない。

楳図かずおといえば「まことちゃん」と思う人も少なくないかも知れないけど、楳図かずおの魅力は、何と言ってもホラー。(漫画家生活50年の中で、ギャグマンガは「アゲイン」と「まことちゃん」くらいのもの。アゲインはまことちゃんの前身となる作品)
楳図作品の中でも、特に「漂流教室」「わたしは真吾」は、絶品中の絶品だと思う。(楳図さんがホラー漫画の巨匠であるのは確かだが、傑作とされるこの2作はSFである)他にも「イアラ」「おろち」は何度読んでも、どこから読んでも引き込まれる。

私は楳図かずおの漫画は少しも怖くない。夜中に読んでも、1人で読んでも怖くない。どうしてかは分からない。
(ちなみに、私が怖いのはつのだじろう。古今東西、さまざまなホラーを読んだり見たりするけれど、つのだじろうの「恐怖新聞」以上に怖いものを私は知らない。思い出しただけで、背中が気になってくる。あ、怖。怖くなってきてしまった。考えるのを止めにしよう。)

楳図さんは「14歳」の発表以降、新作を描かれていない。腱鞘炎の悪化のためといわれている。確かに、あの描き込みを思えば腱鞘炎にもなるだろうと思う。

楳図さんの作品「猫目小僧」と「神の左手 悪魔の右手」が、今劇場公開されているそうだ。猫目小僧は、私の愛するキャラクターだ。猫耳萌え族でもあるからだけど「妖怪人間」のベロ、鬼太郎、ドロロン閻魔くん、など、私はどうも半妖怪的な少年に弱い。ラース・フォントリアーのカルトテレビシリーズ「キングダム」の劇場公開作品に出てくる、巨大な赤ん坊もかなり好きだ。

半妖怪達の中でも、猫目くんは顔がとても可愛い。小さな口、ひざ小僧、流れ者のホームレス生活なのに靴下をはき、タートルネックなのもたまらない。猫目くんが目をつぶって口を開けているコマなど、愛しい子供の写真を見つめるがごとく眺めてしまう。
そんな猫目くん、実写版で映画になると言うから、どんな美少年が演じるのだろうと思ったら、顔が。。。。う~ん、これはどうでしょう。

それに対して「神の左手 悪魔の右手」の子供たちは、とても可愛らしい子役さんが演じてくれる。その点、実に嬉しい。楳図漫画の登場人物達は、身の毛がよだつほど美しい姿か、二目と見られぬ醜い姿でなければならない(醜いキャラクターであるほど、魂は素直でけなげである場合が多い)美醜が大きなキーワードなのだから、綺麗な役には綺麗な人があたってくれなければ台無しである。

でも、監督が金子修介。この監督のガメラはとても良いそうである。「日本の特撮もここまで来たか」などという感想をよく耳にした(正しくはCGなのだろう)。私にとって金子修介監督は、宮部みゆきの「クロスファイヤー」を、とんでもなくつまらない映画にしてくれた人、という気持ちが強い。どうしてもワクワク!と思えない。

金子修介監督の絵は、とても明るい。「クロスファイヤー」のように炎のこそが大切な映画ですら、どこもかしこも明るい。クロスファイヤーの主人公はパイロキネシス(念力放火能力)を持つ女性。炎は光でありながら暗くもある。まして怒りから発せられるパイロキネシス(念力放火)の炎が明るいはずはない。にもかかわらず、なんともカラリと明るい炎。がっかりだった。

楳図かずおの絵は黒が美しい。恐ろしくて、有機的で、原初的で、訳の分からないものが棲んでいる。闇、陰、髪、時には美少女の大きな瞳も、黒い穴になって、無意識の奥底にある原初的な恐怖がその穴を通ってこちらの世界にはい出してくる。あの黒を、金子修介監督はどう映像化してくれるのだろうか。どうかカラリとなんかしないでください。
「神の左手 悪魔の右手」はいくつかのエピソードからなっていて、今回映画化されるのは「黒い絵本」。どちらかと言えば、スプラッター寄り。私としては好きではないタイプの話である。どうかな、私は観るだろうか?ビデオになってから、観るかな、どうかなぁ。

この話を、では、誰が撮ったら見るだろう、と考えて、黒沢清が「スイートホーム」の時のような感じで撮ってくれたら見るかな?とか、塚本晋也が「ヒルコ/妖怪ハンター」のテイストで撮ってくれたらいいな、とか、いろいろ夢想してしまった。とはいえ、誰が撮っても、原作が一番と思ってしまうのは間違いないのだけれど。

少しオーバーワーク気味のこの頃、こんなことを考えていると疲れがほぐれる。ほぐれるのは良いけれど、そのまま止まらなくなる。ぐるぐる、グワシ、そしてサバラ!





匂い 

コメントで「バラの香りのちょっとリッチなシャンプー」について書き込んでいただいて、なんとなく、そういうの、気持ちいいのだよなぁ、と思ったのでそのようなことを。

私はもう、かれこれ10年以上、髪をとかしたことがない。例の「カリスマ美容師」大流行の折り、かの有名な美容室にて「手櫛OK」のヘアスタイルにしてもらって以降、手櫛な頭で通している。ドライヤーも嫌いなので、もっぱら自然乾燥。野生児のごとき生活習慣である。

にもかかわらず、この間、気分転換にパーマをかけた。そのため、整髪料が必要になってしまった。よく聞くブランドの整髪料を買ったところ、これが無茶な匂いで閉口した。系列で言えばフラワー系なのだろうが、強い百合の花のような匂いで、私は外出中にすっかり具合が悪くなってしまった。

急いでコンビニに入り、男性用の整髪料を購入。男性用は大抵シトラス系なので大丈夫。グリーン系とかウッド系、というのは私としては危ない場合が多い。特にセクシーを目指している訳ではないが、ムスクの香りも好きである。墨には麝香=ムスクの匂いが添加されている。墨を擦ると良い気持ちになるのはムスクのためでもある。

私はお化粧をほとんどしない。あまり見てくれに興味が向かない、ということもあるけど、アトピーだから、というのと「匂い」がダメなためである。デパートの1階は息を止めて突っ切るのが習慣だ。

それでも過敏・乾燥肌だから、基礎化粧品は必須である。あまりに過敏になっている時は「皮膚科のお医者さんと共同開発しました」な基礎化粧品を使う。アルコールフリー、防腐剤、香料無し、といったもの。
でも、ちょっと物足りない。やっぱり「肌を大切にお手入れしているの」という、女の子な気持ちも、野生児にだって必要だ、ということかもしれない。

そういえば、資生堂に「S」というシリーズがあって、あれは良い匂いだったなあと思い出す。「都会で働く女性のストレス肌に」といったコピーが付いていたと思う。資生堂のカウンターで「S」を扱っていますか?と聞いてみる。この「S」シリーズは「都会の~」と謳っているだけあって、都会の店舗にしか置いていないのだ。
「ありますけど、今はSを進化させたブランドがでていますのでそちらを」と、勧められる。きれいなお姉さんが私の手を、コットンに含ませた化粧水で
拭いてくれる。

「あ、アルコール…」「ええ、夏なのでスッキリと」などと説明される。
確かに「S」の香りは継承しているけれど、ちょっと違う。しかもアルコールが入っているから鼻につんと来る。私が、イマイチな顔をしたのかもしれない。店員さんは「まずはサンプルを」といって、小さな基礎化粧品一式、きれいな箱に収めて、説明書とともに包んでくれた。

「これは使えないな」と思いながらも、かわいらしい小さなサンプル品が入った、綺麗な箱を、これまた綺麗な紙袋に入れてもらって、私はなんだか嬉しいのだった。お風呂に、箱ごとサンプルを持っていき、説明書を読みながら湯船につかる。いつもなら、週間アスキーかMac雑誌を読むところなんだけど。

野生児だって、たまにはね。


夏の雪 

私は体温調節機能が弱い。暑すぎると、汗が出なくなり、寒気がして鳥肌が立つ。だから、先日のような暑い日には何も手に付かず、思考も停止してしまう。今日は雨。気温が低い日には、できる限りに制作を進めたい。

100号の対になる作品を制作中のこの頃である。雪をイメージした白い絵と、バラの雨をイメージした赤い絵を描いている。まずは白を仕上げる予定。暑い中、雪を思う。無謀な話だ。

胡粉の白は、とても静かで、暑さにいらだつ気持ちをなぐさめてくれる。静かさと涼しさは似ている気がする。胡粉の雪が降り積もり、私の意識を覚醒してくれればいいと願う。現実の暑さの中で、意識だけは凛と。

毛茄子 

わが家だけの「夏の季語」

けなす【毛茄子・毛茄】
イヌ科の一種。さいたま原産。体長約80cm。
夏から秋にかけ,避暑目的でバリカンで刈られた茶色のイヌ。
顕になった身体のラインが、茄子を思わせる様。
愛くるしく、涼しさよりも笑顔を誘う。


対語:けたんぽ【毛たんぽ】冬の季語
   イヌ科の一種。さいたま原産。体長約80cm。
   秋から冬にかけ、暖房目的で布団に入れる長毛のイヌ。
   愛くるしく、暖か。夢見佳し。

フラッシュバック 

いちばん悩んでいた気がする高校時代、
机の引き出しには、ノートやテスト用紙と共に、
詩のようなものを書いた紙が、
たくさんかくれていたものだ。

それらは、もちろん、捨ててしまった。

一言一句は覚えていないけれど、
忘れられない詩もいくつかある。
赤面の出来であるのは仕方がない。
なにしろ、思春期まっただ中である。


 眠れない夜 僕は旅する
 一億光年 先の 後の
 捨てられた僕を探しに

 昨日の僕を捨てなければ
 明日が来ないと言われるなら
 僕は明日の僕なんていらない
 
 過去の僕を抱きとめて
 永遠の今にとどまろう


まず「僕」なのが照れる。
女の子に生まれたことが納得いかなかった。
髪はショート、スカートはほとんどはかなかった。
その私も、高校では自分を「私」と呼び、
髪の毛も伸ばし始めた。
腰まで髪が伸びた時には、スカートだってはいた。
でも、1人部屋にもどって、
つたなくも、自分の気持ちを吐露しようとする時、
私は「僕」に戻るのだった。

一億光年なんてあたり、
谷川俊太郎が好きだったから出た言葉だと思う。
でも実際、当時から、そして今も
私は心のどこかで
「時間は一定の速度で流れるものだ」という風に
体感できずにいるところがあるように思う。

一瞬前の自分は、その瞬間で生きていて、
今の自分と、また別の自分である、というような、
妙な感覚が確かにあるのだ。

時間軸を分断し、
その時々の自分は独立して存在している
と感じてしまうのである。
この詩でも
「昨日の僕」と「今日の僕」と「明日の僕」を
別の人格として捉えている。

時間軸は狭いトンネルのようなもので、
その中を、瞬間ごとの違う自分が、一列になって並んでいる。
意識のスポットライトが、その列を照らし出すと、
照らされた瞬間の自分が、息を吹き返す。

だから、前に前に、明日に明日に、と
そればかり急ぐことは
後ろに並ぶ「自分」達を見捨てることだと、
当時の私は思ったのだろう。
私は僕を、見捨てたくなかったようだ。

そして、
こんな詩を覚えているあたり、30半ばになっても、
私は僕を捨てられずにいる、ということだろう。
時折、意識のスポットライトは
一列に並んだ、幾人もの私の中から
ある一瞬の私を照らす。

その時、過去が鮮明に再生され
私は、過去にとらわれてしまう。
沈む現在は遠のいていく。
時間は自由に伸び縮み、
重複したり、行きつ戻りつして流れる。

昨日/今日/明日の自分、
そして僕と私は
身を任せるほかにない。




「センセ、しあわせ?」 

例によって、例のごとく、体調絶不調の折り、
加川広重さんの個展のため、宮城県Z町に赴いた。

広重さんは仙台美術研究所(通称センビ)という
美術大学予備校の講師。
私も、何度か講師をさせていただいている。
広重さんは、よく通る硬質な声の持ち主で、
分け隔てなく予備校生に指導をする。
飄々とした禅宗の坊さんめいた風情があって、
年齢とか、性差とか感じることがない。
私としては非常に話しやすい人なんである。

そんな広重さんでもあるから、
当然、予備校生には愛されていて、
個展会場にも、たくさんの予備校生がいた。
私が入っていくと、顔見知りの子が
「あ~!センセ~」と来る。
「お~、元気?」なんて話していると、急に
「センセ、しあわせ?」と聞く。
「え?…しあわせだよ、なんで?」と私。
「センセ、しあわせそう」
「え?そう?うん、しあわせだよ」
「センセ、犬と話とかできそう」
「え?うん、できるよ。ってか、犬は話するよ。
 飼ったことないの?」
「マンションだもん。亀飼ってるけど、噛むよ。痛いんだ、結構」
「あ~、亀は爬虫類だからね。でも慣れると寄ってくるらしいよ。
 犬は、群れの動物だから、普通に話すよ」
「センセって、しあわせそうなんだよね」

もの怖じることも無く、
まっすぐこっちをみて、
「センセ、しあわせそう」って。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。ありがとう。
例によって、例のごとく、
行き帰りの車の中、
助手席でぐったりとしていた私ではあったけれど
君が「しあわせそう」と思ってくれるくらい、
私は、本当に幸せに違いない。


「先生は、ピーターパンみたいですね」
「(未来少年)コナンって、先生のイメージ」と、
多分、もうお子さんも成人されたはずの
カルチャーセンターの生徒さんにも言われたことがある。

やっぱり、しあわせってことなんだろう、と思う。

なるったけ、しあわせな私でいよう。
子供心だけの世界に住んでいるみたいに
愛する少女を守るために、
鉄の壁を駆ける少年のように。

センセ、しあわせ?って聞かれたら
どんな時だって
しあわせだよ、って答えられるように。



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