OIKAWA,Satoko blog

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水張り 

木製パネルを拭く
和紙の裏に水を引く
パネルの側面に糊を塗る
水を含んで、ゆっくりと伸びた和紙を
パネルにふわりと載せる

寝心地の良いシーツに
素肌で滑り込むように
和紙の上に触れると
パネルの端が、和紙ごしに感じられる

手のひらの、真ん中辺りから
月丘と金星丘の辺りまで
そおっと、けれどしっかりと
圧をかけながら
パネル側面に、和紙を折り、張り込んでいく

和紙に含まれた水分が乾くまで待つ



パンと張った和紙
やわらかに待っている
私が含ませていく水を
私がのせていく色を

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ほんの少し 

私の抱えられるものは
ほんの少し

腕をひろげて抱えても、
きっと取りこぼしてしまうだろう

ちいさなもの
かすかなもの

私が きっと大切にできる と
そう思えるものは
ほんの少し

てのひらを合わせて
その間につつみこむことができるほどの

ちいさいもの
かすかなもの

こぼしてしまわぬよう
そっと動く
ゆっくりなのは仕方がない

あのひとや
そのひとや
あのことや
そのことや

見渡すべき多くのことを
私はきっと 抱えられない

手の中の この

ちいさなもの
かすかなもの

それで精一杯です。

まねっこ 

バトンで「特技は?」との回答に「物まね」と書いた。
物まね、と言ってもタレントのものまねなどではなく、
本当に「物」真似。

雑巾以外にも、道路で干からびた蛙とか、
愛娘犬の爪の形とか、
雪が積もってしなっていた竹が
雪が解けて、びょ~んと戻る時とか、
しなびたキュウリとか、
水仙の芽が出てきた時とか、
森羅万象、真似して遊ぶ。

そういえば、愛娘犬の散歩中などは、
聴こえてきた音を片っ端から真似していることに気付く。
カラスの声、蛙の声、トラックのクラクション。

その他にも、信号機の点滅などは
リズムと光の印象を、いつまでも頭の中で
自分なりに繰り返し味わってみたりもする。

こういう時のイメージが、抽象を描く時に
身体から出てくるような気がする。
「これは、何を表しているの?」と、聞かれても
「こう、押し開いて、ぽん、ぽん、ぽん」です。
などと、答えると、相手は
「??????」という顔をしたりする。

私の場合、花や、樹皮、枝ぶりなどの
自然がもつ形態から、抽象的な絵が生まれることも多いが、
身体感覚を、色と形にして描くこともあって、
でき上がってから見てみると、後者のほうが面白い。

私は身体感覚が恐ろしく鈍い。空腹も、痛覚も、
のどが渇く、といったことも気がつきにくい。
その代わり、音や光などの感覚は嫌になるほど過敏。
だから、身に降りかかるものは細部まで感じられる一方、
自分の身体がどう反応しているかは、
よくと自覚して観察しないと分からない、ということになる。
自分の身体に謎が多いと言うのは、暮らすには困るが
遊ぶには面白い。

小さい時のお気に入りは、
冷たい水道の水を流し続け、手を冷やしきった後、
手が体温を取り戻す時の
じゅわん、とした感覚だったりした。
きっと、あれは毛細血管に血が戻る時の感覚なんだろう。

面白い物語も好きだし、
キレイな景色も好きだし、
花も、人も、描いていきたいけれど、
感覚そのものを、描けたらいいな、と思う。
感覚を描く、というのとも違うかな。
イメージを画材を使って具現化する、ということではなく、
絵具や支持体や、水、膠、鼓動、BGM、鳥の声、
筆、指、蛍光灯に日の光、匂いと、触感と、
みんなないまぜになって、そのまま出力される感じ。

水仙をものまねる時、
私には水仙と意識の中では大差なくなる。
そんな風に、絵と自分が一緒になればいいな、と思う。





ひさしぶりのバトン回答 

りおさんからバトンがやってきました。
久しぶりに、バトン回答をしてみます。

Q1:バトンを回す5人を最初に書いておく。 
   これは、むつかしいのでご容赦を。

Q2:お名前は?
   雅号は及川聡子です。

Q3:おいくつですか?
   35歳。もうすぐ36ですよ。信じられません。

Q4:ご職業は?
   絵を描いています。

Q5:ご趣味は?
   人形を可愛がったり、創ったり。

Q6:好きな異性のタイプは?
   エド・ハリス様
   クリストファー・ウォーケン
   エドワード・ノートン
   トビー・マグワイア 
   ホアキン・フェニックス
   野村萬斎
     
   自分の願望が自分で良く掴めていないような感じの、目は茫洋として、
   唇がふわっと、かつ薄いようなおじさんが好きみたいです。   
   若い人でも、基本的にリビドーを感じない人の方が好きです。

   小田和正さんも好きなんですが、こちらは
   好みのタイプ、というのではなく、当人が好きなので外しました。


Q7:特技は?
   物まねが得意かもしれない。人じゃなく、物の。
   寒くて凍っちゃったぞうきんとか。

Q8:資格は何か持ってますか?
   自動車免許。英検。 教師の免許、1種と2種。
   
Q9:悩みはありますか?
   星の数ほど。

Q10:好きな食べ物と嫌いな食べ物は?
   好きなもの
    鳥肉関係。ふきのとうとか、ふきなどの苦味のある山菜。
    魚介類も好き。ババロア、リーフパイ、杏仁豆腐
                    。。。。あと、シャンパン。         
   嫌いなもの
    レバ刺し、酢豚とかサラダに入っているパイナップル。

   食べ物の好き嫌いはあまりない方だと思います。
   同じ食べ物でも、味とか焼き加減などで食べられない時はあります。
   酸っぱいもの(お酢は平気)は、嫌いじゃないけど怖い。
   酸っぱい果物はどきどきします。
   心臓がバクバクして、耳がしばらく聴こえなくなります。

Q11:あなたが愛する人へ一言
   どうか元気でいてください。  

「動物感覚」テンプル・グランディン・著 

思い煩うことが多い時、私は科学の本を読む。医学書でも良い。難しい、専門書ではなくて、科学者や医学者が書いた気楽な本でも構わない。これはこう思うべき、とか、こうしていこう!とか、これは美しいだとか、優しさとは、とか、そういうことが書いていない本。
事実をていねいに書かれている本。その事実が、私を驚かせ、感銘させてくれる本。そういう本が救いになる時がある。

糸井重里が、むか~し「好き、というのは、意味もなく見てしまうことだ」と書いていて、なるほど、と思った。著者は忘れてしまったけど「カメのいる日々」という大好きな本がある。(ずっと探しているのだが、引っ越しの際どこかに紛れてみつからない)この著者は科学者である。ペットのカメの生態が事細かに記録されている。どこにも「カメのこんなところが可愛い」とか「愛している」なんて書いていない。でも、もう、ページのすみずみまでが「カメ可愛い」の思いでいっぱいなのである。どこまでも、カメを見つめて記録する、その目線が、読み手の私に伝わるのだ。

今、私はテンプル・グランディン・著「動物感覚」という本を読んでいる。テンプル氏は言語障害を伴わない自閉症者である。彼女は、動物の知覚・行動のエキスパートだ。「私は動物の通訳」という彼女のこの本は、友情とも言える動物との共感に基づいた、動物の知覚を私たちに伝えてくれる。動物たちの知覚に共鳴する彼女の言葉は、多くの動物愛護を唱える人々とはまるで違う冷静さ、的確な観察に裏打ちされている。

彼女の仕事は、食肉となる牛が、苦しまずに、怖がらずに命を終えるシステムを開発することだ。自閉症と言うハンディを負い「人間よりも牛の方がよく分かる」という彼女は、その動物たちの死について、全生涯をかけている。

愛しているとか、好きだとか、そういった思いだけではなく、理解し、見つめ続ける、時に冷徹なほどの姿勢が、救いとなることもあるのだと、そう思う。
真摯に。必死に。



ありがとうございました 

羊の家.jpg

私が、曖昧に、動揺を吐露したものですから、
ご心配をおかけしてすみませんでした。

そして、ありがとうございます。

何事にも、
「その時」があり、
「その意味」があると信じる力が
与えられますように、と、祈ろうと思います。

動揺 

朝の空.jpg

自分のことで、いろいろ動揺していた今日この頃、
それだけでも、ずいぶん胸いっぱいだったのだけれど、
今度は、これまでにない、これまでとは全く違う
痛いような動揺がやってきました。

どうすることもできないので、
ロザリオを繰ることにします。

なんでもなかったよ、って、言えますように。

認知・知覚・表現 

めまいのことで診断を受ける中で、自分はいろいろイレギュラーな知覚をしている事が分かった。そしてそれが心理的な問題ではなく、機能としての問題である事も分かってきた。

痛みや空腹、疲労感に対して鈍感であるとは自覚していた。旦那君がいないと、ほとんど食べる事を忘れるのもそのせいだ。また、石油ストーブの前で制作に集中すると、火に接近しすぎて服を焼いてしまう。今年の冬は、上着やセーターを5枚ほど、焼いたり溶かしたりしてしまった。危ないことこの上ない。

それと反対に、色や光、音には尋常でなく過敏だ。小さい音もよく拾う。オーディオ好きの絵の先生に、何種類かの生産国が違うレコードの針による音の違いを聞き分けてみて、と頼まれた事もある。集中すると、それぞれ微かだけれども違うのだ。肌触りを手のひらで感じるように、音の差を感じる。「君は色よりも音に敏感だ」と、絵描きとしてはあまり喜ばしくないお褒めもいただいた。

また、時間や空間についての感覚もどうやら違っているようだ。そのためかどうかは分からないが、物心付く頃から、私は「ビックバン」を想像するのが好きだった。世界の始まり。時間や空間が生じたその始まりを、何度も繰り返し思い巡らした。中性子も好き、ミクロとマクロの関係を考えるのも好き。光と影、小さいものと大きいもの、瞬間と永遠。それらの相対するものが、同時かつ一致している状態を夢想するのが好き。
時として、そう、絵を描いていて、すごく乗った時、たまにしか訪れないけれど、すっかり絵と自分がないまぜになったような時、ビックバンの夢想はただの想像としてではなく、実感をもって私の感覚に広がることがある。

めまいも困るし、痛覚が鈍感なのも危ないが、そんな自分のイレギュラーな知覚が制作にあってはユニークさとして働くならば、大事にしても良いのかもしれないと思う。と、いうか、粗末にしようにも、捨てられるものでもないので、受け入れる他ないのだけれど。



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