OIKAWA,Satoko blog

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展示のおしらせとお礼 

体調不良について、お見舞いのお言葉をくださったみなさま、
本当にありがとうございます。
体調が悪くなると、気落ちすると同時に、
なんというか、こう、悪いような、不義理をしているような
そんな不安に苛まれるのが私の癖です。
「のんびりね」なんて言われると、本当にほっといたします。
ブログの更新も、ちょっと滞るかもしれません。
また、コメントへのお返事も遅れるかもしれません。
早く、良くなって、今制作中の立体作品や、人形のことなど
載せられるようにしたいと願っています。

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劣第70回 河北美術展出品のおしらせ

日本画と彫刻、それぞれ入選いたしました。
ご多忙中とは存じますがご高覧いただければ幸いです。

会期 4月28日(金)~5月10日(水)
   午前10時から午後7時30分
   (金・土は午後8時まで/最終日午後4時まで)
会場 藤崎本館7・8階催事場
   仙台市青葉区一番町3-2-17


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めまいぐるぐる 

ひさ~~しぶりに、強い目眩に襲われた。吐き気と腹痛も重なる。
ここしばらく、〆切やら遠出やらで疲労がたまっていたのだろうか?
緊張が続くと食欲が消える。私が食べることを忘れていると、「食べないと~」と、思い出させてくれる夫が、1泊2日留守をした。あまり物を食べないままに帰宅した夫とビデオ屋を巡ったのが悪かったようだ。ビデオのタイトルに集中しながら、ちょっと棚を曲がって、CDのコーナーに差し掛かった途端、視野が左回りにぐるぐる回転し始めた。

ぐるんぐるん加速する視野の中、レジに並ぶ夫のところへどうにかたどり着くも、そのまましゃがみ込む。ぐるんの加速はなおも続く。「唇が青いよ」と焦る夫。何しろ私は、みちのくの子の称号とも言うべきバラ色のほほ(りんごほっぺ)を有する健康色の権化であるから「青い」なんてそうそうあることじゃない。

目眩に悩まされた去年末からこの春。目眩と言ってもぐらっとする感じとか、ふわふわした感じだけだったのに。ぐるぐるは怖い。気持ち悪い。でも、病院で2度も検査して「大きな病気じゃありません」と言われているんだから、これ以上どうしようもない。目眩止め、ちゃんと飲んでるのにな~。旦那が急いで氷砂糖を買ってきてくれた。「なんか効きそうだから」とのこと。血糖値が下がったんだとしきりに言う。

氷砂糖の甘さを、ぼんやり味わいながら車から外を眺める。桜並木は満開で、たくさんの人が楽しそうに歩いている。桜は見たいけれど、人の波に入れば、きっとぐるぐるが襲ってくるんだ。
仕方がないさ。今日は早めに眠って、夢の中でお花見をしよう。




おじさんの絆創膏 

茨城の義理の伯父が亡くなり、そのお通夜と告別式のためでかけておりました。
大きな大きな目をして、白鷲のようなおじさんでした。無口でお酒が好きで。子供のいない夫婦でしたので、一人残った伯母を元気づけるため、兄弟姉妹+甥姪がそろって思い出話をして、まるでお祭りのように笑い声にあふれた数日になりました。周囲の人からしたらとても不幸があったとは見えなかったかもしれません。

でも、長く臥せったおじさんをこまめに見舞ったり、心配したり、またそのときの様子を岩手、宮城、千葉、埼玉、東京、と散らばった兄弟姉妹に電話で報告したりしてきた、おじおば達。涙を見せることのない私の父も、そっと涙をぬぐっていました。伯母もふいに泣いたり笑ったり、むやみに食べきれぬ量のアイスクリームを買い込んだり。おじおば達は伯母の眠剤が効いてくるまで、一瞬もやむことなくおしゃべりを続けていたのでした。

告別式。おじさん=大きな大きな目玉、だったのに、しっかりと閉じられ、もう二度と開くことないのだな、と、思いながら、そのお顔のそばに花を飾りました。生前はその長身と威厳のある姿に、あまりそばに寄ることもできなかったおじさん。式では、タオルで顔や足を拭かせてもらいました。

おじさんの足の指には絆創膏が貼ってありました。聞けば、亡くなる2日前に、看護婦さんが爪を切る際、間違って指先も切ってしまったので、伯母が貼ってあげたものだそう。
「血が出てねぇ、でも痛くないって言ってたよ」と、伯母。絆創膏を見つめながら「生きている/亡くなっている」ということの不思議を思ったりしました。

切られた枝に、青々と葉が生えているとき、私はいつも「この葉っぱは、自分が幹からはなれていることをまだ知らないのだなぁ」と思って、なんとなく切なくなります。命というのは虹の色に似てはっきりと分かれているようなものではありません。色がなだらかに階調を変えているように、命はなだらかに移行していきます。亡くなった後も、髪や爪は伸びるそうです。きっと、伯母が貼った絆創膏の下で、おじさんの爪はほんの少し伸びているに違いありません。

亡くなったあとも、伸びてゆく爪や髪のように、まだそこにおじさんがいるような想いは続くのでしょう。そうして、ゆるやかに想いは止まり、心の中にもう一度、おじさんの姿が生前とは違う姿で、生まれるのかもしれない。。。。そんな風に思いました。

数日 

数日、家を離れなければなりません。
長くて4日間だと思います。
帰ってきたら、またご報告します。

さよなら、OS9 

もう潮時である。ずいぶん頑張った。かなり、堪えた。が、もうリタイアかもしれない。何がって、愛機のiBookである。私のMacはOS9.2。OSXも入ってはいるが起動させていない。

私がはじめてパソコンを買ったのは1995年。世界中でWindows95の発売に沸き立つ中だった。子供の時から、私は機械に惹かれる質。本当にメカが好きだったのか「女の子はメカに弱い」と言われたくなかったのか、曖昧ではある。でも、コンピューターなるものへの憧れは、相当に強かった方だと思う。
だから、みんながどんどんWindows95なるものを生活に導入しているのを、ぼんやり見ているのはやりきれなかった。憧れ続けていた自分も、コンピューターを使うんだ!と、決意した。

しばらく、調べに調べているうち、Windowsよりはるかにエレガンスなコンピューター、Macintoshを知ることになる。絵を描くとか音楽をするならMac、と周囲からも言われるし、実際、両者を並べればその世界観の完成度は月とスッポン。私は貯金をはたいて夢のパソコンを手にしたのだった。

私が選んだのはPowerMac 6200。すでにPerformerシリーズも出ていたのだけれど、あらかじめソフトやモニタがセットになっているのがなんとも気に入らず、敢えてPowerMacを選んだのだった。モニタはSony。メモリ16メガバイト、HD500メガバイト!!涙が出るような可憐なマシンである。当時はこれでも相当にハイスペックだった。OSは漢字トーク7時代。

まきがめ、永遠に続けたなぁ。ハイパーカード、あんな素晴らしいものをなぜアップルは捨ててしまったんだろう。誰でも、クリエイターになれる、そんな思想をあのフリーソフトは象徴していたのに。懐かしいなぁ、Mac Life、良い雑誌だった。付録のCD-ROMで、いつも最新のOSにアップデートしていたものだ。あれから、数台のMacを乗り換えてきたけれど、6200から全て押入に保管している。手放したりなんかしていない。

最新のOSに、いつだって気軽にアップデートできたあの頃。そんな時代は徐々に遠いものとなり、ついにXの登場。とっても綺麗で、センスも良くて、私はホクホクとXでMacを起動してみた。…が、遅い。不具合が出る。これまでのソフトが対応しない。
我が家はMacで仕事をしている。仕事でMacを使う場合、OSXへの移行は大変なことだ。フォントは使えないわ、印刷所は対応していないわ、どうしようもないんである。だから、我が家は未だに全てのパソコンがOS9だった。
実際、9はキビキビしているし、アンチエイリアスなんてかかっていないほうがフォントの識字性も良いし、パーソナルユースにも断然良かった。

…が、もうどうしようもない。サイトが駄目なんだ。かなりの割合で、サイトがまともに表示されない。IE+MacはMixiですら非推奨。私がこよなく愛する世界のオモチャ屋さんサイトめぐりもつらくなってきた。先日は、最も大好きな店のひとつ、Toy Shoppeのサイトが新しくなり、IEでもネスケでも見ることが出来ない状態になった。

しかたない、とヨドバシで最新Macをいじってみる。最初のXにくらべたら、すさまじい発展をしていて、直感的にいじることが出来るMacらしいOSになっていたんだなぁ〜、なんて関心。毛嫌いしていた分、あらためてときめいたりして。.MacとiLifeさえあれば、ひととおり足りるかもしれない。でもなぁ、ADSLも光もこない我が家に、それは無理な話かなぁ。。。。と、店頭のブロードバンド接続Mac、巨大なシネマディスプレイにおもちゃ屋さんのサイトから大好きな人形の画像を表示させつつ、想像を膨らませたり、しぼませたり。

購入するなら、IntelのiBook(iBook後継機というべきか)を待つべきかとも思うけれど、IntelになったらClassic環境は使えないそうで、本気で9と決別せねばならない。でもね、iLifeもあるし、それだけでいろいろできるのならそれも良いのかなぁ、なんて悩む。Classic環境を抱えたままのPowerBookも良いし。iBookの14インチも良いなぁ。InteliBookとどっちかな。OS9、そしてその仲間であるソフト達、君たちと別れるときが来たのかなぁ。

お絵かきと犬散歩 

私たち夫婦は、端から見れば「不審者」ではなかろうか、と思うような生活を始めて久しい。関東に暮らしていた時、夫は編集プロダクションに所属していたのだが、要は仕事をしっかりすれば良い、という気風で出勤時間には何の縛りもない。夜が遅い分、朝はのんびりした生活だった。宮城に越して、勤めもしたけれど、やはりフリーになったのは「仕事がしっかりしているなら、時間は好きにすればいい」という価値観が、しっくり身にしみているためかもしれない。

私たちの一日を規律立てているのは「犬の散歩」以外にない。朝起きてまず散歩。4時頃になればまた散歩。
柴田町に越してきて、朝夕必ず夫婦で犬の散歩をしている私たちは、相当に不可思議だったと思われる。職業=犬の散歩、と思われても仕方がない。「旦那さんは文章を書いて、奥さんは絵を描いているらしい」という一応の事実は伝わったけれど、不可思議なことに変わりはないのかもしれない。
そんなことは自意識過剰な話で、無論私たちの暮らしなど誰も気にとめているはずもないのだけれど、毎日勤勉に働く人々の、規律正しい日常を見ると、自分達がなんだかへんてこな存在に思われてしまう。小さな罪悪感のようなものがどこかにあるのかもしれない。

そんなある日。犬の散歩の帰り道。我が家のそばにパトカーが停まっている。「わ、警察」「ほんとだね」「何だろ」「何だろうね」などと言いながら私たちが家に近づくと、パトカーはその動きに反応するかのようにゆっくり近づいてきた。「え?不審者だから?」と、ふざけつつもちょっと真剣に動揺する。「まさか、何もしてないよぉ」と笑っていたら私たちの所にパトカーがぴたりと停まり、お巡りさんが窓を開けて言うのだ。
「ちょっとお願いがあるんだけど、家に行っても良いかな?」私たちの動揺を察してか、愛犬は「どうしたの?どうしたの?」と鳴く。

庭でお巡りさんと話す夫の所に、鼻を鳴らす愛犬を抱いて近づくと、可笑しそうに笑っている夫の顔が見えた。「これ、犬のパトロールだって」お巡りさんがくれたチラシには「防犯わん募集」の見出し。「ただいま大河原警察署では地域の防犯パトロールに協力してくれる防犯犬を募集しています」とのこと。
雨の日も風の日も、大雪の日も散歩ばかりしている我が家の愛犬に「防犯犬」の白羽の矢が立ったということのようだ。緑色の犬のバンダナには警察署の名前と「防犯犬」の文字。不審者と思われたのではなく、不審者を捜してね、とのお達しだった訳である。
「絵を描いているんだってね」「犬の散歩で有名だよ」と、お巡りさん。お絵かきと散歩、煎じ詰めればそれが私の暮らしである。やっぱり申し訳ないような毎日だ。幸せすぎて、ごめんなさい。

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