OIKAWA,Satoko blog

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お清め? 

人形の制作の時には、全く気にならないのに、絵画制作の時には必ずすることのひとつが大掃除である。「よし、仕上げるぞ」となったら、アトリエを改造する勢いで掃除する。

これは、父の影響もあるのだと思う。父は仕上げになったら、アトリエを綺麗に掃除してお風呂に入る。父は、武蔵なみにお風呂嫌い。忙しくなって眠る時間もなくなってくると、当然のようにお風呂に入らない。仕上げをするアトリエは屋根が三角なので「ピラミッドパワーで汚れないから」などと、無理なことを言っている。「お風呂に入って死ぬことはあっても、入らなかったからといって死ぬことはない」とも言う。まぁ、布団に横になるのも惜しんで制作するのだから、その壮絶な制作状況を見ているとお風呂は免除でも仕方ない、と思えてくる。

そうやって、驚くほどノンストップで制作を続け、仕上げの段階になってお風呂に入る。普通の生活ではお風呂は日々の汚れを落とすだけのことだけれど、父のようになるといわば、お清めの儀式のような趣が漂いはじめる。
実際、制作が厳しくなってきて、いざ仕上げの段階となると、父の仕事場には特有の緊張感が生まれる。ピラミッドパワーかどうかは分からないけど、確かに空気は張りつめる。

私はその空気が好きだ。自分のアトリエに、はたしてあの空気は漂ったりしているのか自信はない。でも、絵を仕上げるとき、アトリエを掃除し、やっぱりお風呂に入る(いや、名誉のためにも記しておきたいが、私はお風呂にまめに入っておりますが)。

昨日、今日と、仕上げに向けてアトリエの大掃除をした。調子の悪いオーディオも、違うものに取り替えた。机の上にはまっさらに洗った絵皿と筆を並べた。家のあちこちにいた、大事な人形達をアトリエに連れてきて、応援団よろしく全員整列。仕上げに向けて、準備は万端だ。あとは、自分の精神の問題。張りつめた空気を充満させることが出来るよう集中、集中。
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「虎の尾を踏む男達」黒澤明 1945年 

私は時代劇が大好き。特に忠臣蔵や勧進帳がたまらない。家臣を思う主君、主君を思う家臣、悲劇に終わるからこそまた、その純粋さに心鷲掴まれてしまうわけです。

「虎の尾を踏む男達」は、黒澤明がはじめて手がけた時代劇。義経は岩井半四郎、美しいです。弁慶を演じるのは大河内傳次郎。名前はよく目にしていたけれど、ちゃんと見たのは今回が初めて。いや、もう非常にかっこよいです。
白紙の勧進帳を読み上げる場面から、富樫に仏徒の戒律を答える弁慶の貫禄と凄み、と同時にラスト近く、酒をあおりにあおり、酔う姿の愛らしさと色香に、もうすっかりとコチラがのまれてしまいました。エノケンのダンスも当然のように迫力があって、古さを感じないそのスピード感に惚れ惚れ。

能楽の「安宅」と歌舞伎の「勧進帳」を基にしているだけあって、能、歌舞伎の音楽とともに、ミュージカルの要素も盛り込まれた実に秀逸な娯楽作品。1時間ほどの短さがまた、映画自体の完成度を高めている。
身体の芯まで芸で出来ているような俳優さんがいないと、もうこういう映画は作られないのだろうと悲しく思う。

その意味でも、私は狂言師・野村萬斎さんにもっと良い映画の仕事が来ないものかと思われてならない。(私はまだ見ていないのだけれど、野村さんの映画初出演作は黒澤明の「乱」である)
野村さんの魅力は「陰陽師」よりも「にほんごとあそぼう」でのほうが堪能できるように思うのは私だけだろうか?歌舞伎の若手も随分映画界で活躍しているけれど、本当に歌舞伎役者としての魅力を現代の演出が活かし切れているだろうか。勿体なく思うことも多い気がする。人気若手俳優のあの人や、この人も、最近演じた「丹下左膳」だが、最高は大河内傳次郎だとは、多くの人のいうことである。

大河内傳次郎さんは歌舞伎や狂言、役者の家に生まれた人ではなく、お医者さんの息子さん。脚本家を目指したこともある方で、舞台から映画まで学ばれた方だ。
にもかかわらず、大河内傳次郎さんの持っているあの凄み、それと明るさ、華っていうのかな。リアルな心理描写なんてものではなくて、型に近いような、時代劇の主役にふさわしいあの演技。時代劇が愛されている時代の申し子のような俳優だと思う。生まれたときから、隈取りがあったのでは?という感じ。

「いよっ!」とか、客席から声をあげたくなるような、そういう魅力ある俳優は、今、どこかにいるのだろうか。大河内傳次郎の本名は大辺男。本名、男です。すごいです。あ、よみは「ますお」だそうです。さすがに「おとこ」ではありません。でも、名は体を表すものだと思わせられますね。
そんなことを考えていると、自分は間違った時代に生まれ落ちたのかもしれない、などと思えてくる。私の感動のツボは古いにもほどがあるのかも。

ちなみに、この映画は「主君への忠誠」という封建的思想が色濃く感じられるという理由で、この映画はGHQの指導により実に7年間も放映禁止の時期があったのだという。う~ん、やはり、今の時代に生まれて良かったです。

と、いうことで今度は「血煙高田の馬場」を見つけて鑑賞したいと思っているところ。

左利き 

幼少期、私は左利きだったらしい。それを、親が熱心に右利きにさせた。だから、今の私は右利きである。が、本日、左利きの名残を見つけた。

父の教室日だった今日。カッターで鉛筆を削っていたら「え?聡子ちゃん、左利き?」と、生徒さん。「え?」と私。私はいつも左に刃物を持ち、右手に鉛筆を持って削っている。
「そういえば、ぞうきんを絞るときも手が逆さだと言われます」と言うと、左利きの生徒さんが「俺もそうだよ」と仰る。「食事時は、みんなが変な感じがするって言うから右で箸を使うけど、ぞうきんなんかはみんなと逆」なのだそうである。

なるほどなぁ~、と思う。そして、ふと、美術予備校の冬期講習を思い出した。はじめて鉛筆デッサンに取り組む生徒さん達に、私は鉛筆の削り方を伝授してしまったのだ。みんな、やたら苦労していたので「最近の子はカッターで鉛筆なんて削らないからかな」なんて、ぼんやり思っていた。
あれは、きっと「左利き流」の鉛筆削りを教えてしまったからだったんだ。ひゃぁ、ごめんね、みんな。

きれい 

butu.jpg

昨日は父の彫刻の手伝い。「お駄賃を物納」ということで、ベニガラと「松の煤」をもらう。松の煤(スス)は、松を燃やした煤。これを膠で練り固めれば松煙墨ということだろうか。

日本人形の肌色はベニガラを胡粉に混ぜた色胡粉によるもの。日本画の朱など、赤系の絵の具のほとんどは水銀なので毒性がある。ベニガラは酸化鉄なので毒性もない。愛玩のための人形には、毒性のないベニガラを使う。

また人形制作の技法書には、肌色の中に、少量の松煙墨の粉を入れる、とか、髪の毛の下塗りや眉毛に松煙墨の粉をすり込むとも書いてある。墨の粉って言ったって、どうやって作るのかな、と謎だった。技法書には墨を粉にする方法は載っていない。
前回、八重の眉や頭の下塗りは、硯ですった後に乾かし、晒しでこすり取って墨色を付けてみたりした。もしかすると、この「松の煤」が、重宝するかもしれない。今制作中の、七海にはこの松の煤を使ってみようと思う。

kan.jpg

この松の煤が入っている缶は古い煙草の缶である。これが、非常に綺麗に古びていて面白い。描かれたり、作られたものよりも「そこにあるもの」というのは、大抵、綺麗なんだな。

つむじ 

昨日は父の彫刻の教室日。
生徒のみなさん、真面目に木彫をされている中、
私はこのようなものを創っておりました。

つむじ.jpg

これは、今度創ってみようと思っている小さな男の子。
イメージをまとめるために油粘土で
原型の一歩手前を創ってみました。

正面原型.jpg

原型右向き.jpg

原型左向.jpg

原型後ろ.jpg

できあがりは、頭と手がイージースリップ(型に流して固める粘土)、
身体はタオル地で中にペレットを詰めて、
ポテっと、くたっとした赤ちゃんにしてみようと思っています。

途絶える便り 

ふと、思う。
あの人から、便りが途絶えたな、と。

そう思うと、
あの人からも、この人からも、
途絶えていた、と、気が付く。

住む世界が変った、からかもしれない。
違う世界の人になったと思う
その理由は何だろうか、と考えたりしてしまう。

仕方ないじゃないか。
答えを探してどうとなることでもない。

それよりも、
新たに便りをくれるようになった人を
大切に思えばいい。

そうは分かっていても、
何故かな
遠のく人をこそ、追いかけたい気持ちが
寝入る寸前になど、不意に襲ってきて
嫌な夢を見せたりする。

Adieu Adieu Adieu・・・
羊の数のように、
「二度と会わない」と繰り返そう。





さざれ貝 

人形の着彩を胡粉で行ったことは本当に良かった。「胡粉という色」が「胡粉という物」に変わって感じられたことが、私の中の大きな束縛を解いてくれたように思うからだ。

日本画で使われる岩絵具は、油絵具や水彩絵具にくらべ、粒子が豊富なため、絵具が持つ材質感を描き手は常に意識させられる。私はこれまで、その材質感をマチエルとしてしか感じてこなかった。私は「どんなに盛り上げられたマチエルを持っていようと、絵具の層、高さ、それ自体が作品とはなり得ない」と信じ切って、どこまでも画面の上にイリュージョンを産むことに終始してきた気がする。
何をいまさら、絵画の三次元について語り出すんだろう?フォンタナだって、とっくに死んでしまったのに、と思われるかもしれない。絵画作品の裏側まで、作品になって久しいぞ、と。
分かっていることと、自分がそこから脱することは全く違う。

岩絵具は岩(石)を砕いた絵具だし、胡粉は牡蠣の貝殻を砕き、粉末にした絵具である。それらの絵具を皿に乗せて粒子を眺め、かつては石だった姿を思ったりすることもあった。
人形に胡粉を塗っていた時、その牡蠣の粉末が再び硬化して貝に戻っていくような感覚にとらわれた。絵を描いていた時と全く逆である。私が撫でて、擦って、磨いて行く中で、胡粉はもう一度、形を得て、モノとして存在し始めている、という感覚。「さざれ石のいわおとなりて」という具合に、細かな粒子が姿を取り戻していくような感覚だ。

「君が代」は元は恋の和歌だともいわれる。君が永遠(とも思えるほど)に長く存在して欲しい、という気持ちを表すために、さざれ石に苔がむす、という例えを詠っている。
ちなみに、さざれ石は、小石の隙間を炭酸カルシュウムや水酸化鉄等が埋めてコンクリート状に大きくなった石のこと。比喩ではなく、実際の石である。しかし、一般から考えて、やはり大きな石が時間と共に砕けて小さくなることがごく自然な気がするし、小さい石が時間と共に大きくなるなんて奇跡に等しく感じられる。だからこそ、この一般的な時間とモノの関係の逆行した性質を持つさざれ石は、神社に祭られたり、歌に詠われたりしたのだろうと思う。

それにしても「君にずっといてほしい」という願いを詠いたい時に、全く不変なものを例えとせず、時間と共に大きくなるとか、苔がむすとか、果てはもしかすると再び砕けたり、消えたりするかもしれないものを例えとするところがまた興味深い。気が遠くなるほどの時間ではあるけれど、それは永遠ではない。膨大な時間ではあるけれども、変わり続けるものであり、有限なものだからこそ大切なんだ、尊いのだ、という日本人の美意識がやはり根底にあるのだろうと察せられる。

君にずっといて欲しい、という願い。
砕かれた石が大きな石の姿に変える不思議。

ヒトガタというものを創る中で、胡粉が見せてくれた「砕かれた貝が、姿を取り戻す」有り様は、まさにさざれ石を詠うその歌人の想いに通じていたんじゃないかな、と思う。愛でるように胡粉を撫でて、私は胡粉を貝に変えたい。次の制作はこのことがテーマになるだろう。テーマと行為が一致すること。これ以上望ましいことはない。良い作品が生まれなければ嘘だ。頑張ろうと思う。

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