OIKAWA,Satoko blog

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ここまで 

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依頼されていた肖像画。約束の〆切を守るためどうにか進めた。下描きをここまで描いて、筆を止める。これ以上描いても、ご家族のご意見を伺うと大体は「似ていない」ということで、違う方向に進めることになるのは明らかだから。

ここまでが私のイメージ。あとはご家族の方々に私へノリウツッテもらう段となる。潜水のように、相手に潜って、水の層を隔てて見える「その人」を探す。想いやら、記憶やら、願望やら、時間やら。「その人」をめぐるものを頼りに、描いていく。けっこう、しんどい。約束だから頑張るけれど。
ここまでの記録として、スケッチを載せておこう。あとは公表しない。ここから先は私の領域ではないからである。
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八重がくれた次回作の構想 

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完成した八重。人間の子供用のドレスを着せています。ウエストは絞れるので良いのですが、やはり首周りは大きすぎます。ちゃんと、衣装も創れるようにならねばなりません。

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今回はアクリル絵の具の類は使用せず(唯一、ほんの少し、唇にはアクリルのグロスポリマーにベニガラを少し入れて塗ってみましたが)胡粉と顔料、岩絵具や墨など日本画で使用する画材だけで着彩をしました。メディウムも膠のみ。スポンジ仕上げではなく刷毛と筆での塗り仕上げ。時折、晒しで拭きました。鼻の頭やおでこ、頬などは若干こすって艶を強調。最後にベニガラをこすりつけて赤味を加えています。

yaej.jpg

人毛の30cmミノ、というものを3m用意して全て植毛したのですが、ちょっと足りない気がします。今度、もう少し購入して髪の毛を増やしてあげようと思っています。

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2月19日東京ビックサイト、ワンダーフィスティバルに展示した際の「八重」と「Nona」ずり落ちたりしないかと終日ハラハラしましたが、ふたりともちょこんと座ったまま「ここはどこ?」という顔で頑張ってくれました。

今回、人形を作るなかで、一番感じたのは「愛でる」という感覚です。最近彫刻も始めた私ですが、彫刻の時の「触覚」と、人形制作における「触覚」は非常に違います。(もちろん、私の個人的なことだと思いますが)彫刻にくらべて、人形制作は「擦る」行為が多いのです。ヤスリで擦る、晒しで擦る、という具合です。
この「擦る」行為が心の中で「撫でる」に等しくなっていき、どんどん制作という行為が愛でるという行為に変わってしまうのです。これが人形作りの不思議な楽しさの理由だったのかもしれません。
丸さを帯びた形を、ていねいに丸く丸くして、擦り、撫でていくと、顔だけでなく、鼻の頭や耳や膝、様々な部位までも愛らしく感じられてたまらなくなります。このことが非常に面白かった。

また、日本画の中で使用してきた時の胡粉と、人形制作で見えてくる胡粉の魅力も全く違うことも衝撃でした。日本画での胡粉とは、粉雪のように、鳥の羽のように感じられるものです。一方、人形の胡粉はまるで磁器と漆器の中間のような艶を持つのです。艶は、ていねいに何度も塗られ、磨かれる中で自然と生まれるものであり、ニスのような照りとは無論違う質のものです。

胡粉によって生まれる艶、「擦る=愛でる」という行為の同化、これらが人体の丸い部位への偏執として取り出された場合、美術作品としての可能性があるのではないか、と思ったりしました。人形という完成を離れて、愛くるしい部位、丸い形、それをオブジェとして独立させてみる、ということ。八重を制作して、生まれた次の作品の構想です。
この構想が、具現したなら、人形と美術を自分の中で統合しうる気がして、ちょっと興奮しています。

組み立てを待つ「八重」 

薄暗.jpg

80cmの創作人形も、着彩も終わり、髪の毛が付いてあとは組み立てを待つばかり。
力つきて、今夜は寝ようと電気を半分消して人形を見やると、生きているかのように見えたので、思わず撮影。

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ちなみに、髪の毛が付く前はこんなくりくり坊主。これはこれで可愛らしい。

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名前は「八重」になりました。純日本風の少女、という制作当初のイメージにぴったりの名前。ふっくらとして、咲き始めのつぼみのような子。

あと一週間を切りました 

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ワンダーフィスティバル当日まで、一週間を切りました。出品予定の80cmの創作人形は、昨夜、ほぼ全身のパーツを磨き終わるところまでこぎ着けました。

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この状態で、しっかり乾燥させないと、必ずひびが入るとのことなので、今日は焦る気持ちを抑えて乾燥、乾燥。明日には、シルククレイを塗る段階に入ります。

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これは、作り途中の時の足。自分の足を見て作るので、どうしても自分の足に似てきます。恥ずかしいです。

今回の子の名前は、前回の「nona」が9という意味を持つ名前だったので、カウントダウンして「8」という意味を含ませたいと考えていました。また、純日本風の子にしたいので、日本名をいろいろ挙げてみました…が、8の付く名前というと「平八」とか「八平」とか「八十助」とか、なぜか時代劇がかった名前ばかり浮かんでしまいます。
これはつまり、8番目の子供につけられた名前だからかもしれません。8人兄妹というのは、今ではめずらしいですから、8人目の名前、という時点で「昔の名前」になってしまうのでしょうか。
女の子で8というと「八重子」「八千代」…8番目という意味よりは、8が持つ「末広がり」な「永遠」感、幾重にも重なるイメージの名前が多いようです。でも、やっぱり、ちょっと古風です。
8と聞いて、思い浮かぶのは八音、ドレミファソラシ。音律、韻、等々と、言葉のイメージを連ねて熟慮中。
明日からの彩色のなかで、この子の名前が思い浮かびますように。

ワンダーフィスティバル 出品 

食玩で有名な、フィギュアの海洋堂が主催するイベント「ワンダーフィスティバル」に参加することになった。友達がディーラーとして出品するのに、飛び入りで出品させてもらうのだ。
といっても私が出品するのは創作人形。球体の間接を持ち、様々なポーズが出来る。

人形を作るのは、非常に楽しい。むやみに楽しい。理由は分からないけれど、無性に楽しい。人形の作り方はネットからダウンロードしたものや、昔コピーしておいた資料、それと「日本人形の伝統技術」(著者 野口晴朗・出版 理工学社)という本を参考にしている。

この「日本人形の伝統技術」が、実に秀逸な本である。野口晴朗さんは彫刻科出身の人形師である。お父さんも人形師であったから、人形師を継いだわけだけれど、彫刻を学んだ身からすると「人形は一段下」という価値観を払拭するにはずいぶんと時間がかかったそうである。
能面を見てその考えが変わり、しっかりと人形制作に向かうことが出来るようになった、と本には記されている。

胡粉、墨など、日本画と通じる画材も多いが、その扱い方は非常に違っていて、その違いがまた興味深い。そして、このその野口晴朗というひとの画材に対する思い、扱いの丁寧さが、近年の日本画の画材説明には見あたらない素晴らしい内容なのである。
剥落、ひび割れ、そのようなことはむろん、起こってはならないことだ。しかし、美術には「表現第一」を理由に許してしまう隙がある。ダヴィンチの「最後の晩餐」も、制作中から剥落し続けている。しかし、名画であることは疑うべくもない。
けれど、愛玩される人形にとっては、作り手にとっての表現なんて2の次で、何と言っても「顔が命」綺麗な肌でなければならず、当然、技術が徹底していなければ何も始まらない。
そういった材料への真摯さ、技術への熱心さがかえって新鮮に私には感じられる。個性だ、表現だ、と、声高に叫ぶ世界にはない「ていねいな制作」に、あらためて頭が下がる思いだ。

さて、私が参加するディーラーの友人達は全員美大出身で、ファインアートで発表をしてきた面々である。そのメンバーがあえてフィギュアと人形という、ファインではない造形に熱心にチャレンジしようという心意気なんである。
ワンダーフィスティバルはたった1日のイベントでありながら、例年3万5千人ほどが集まるらしい。全国から、秋葉系のオタクがこれでもかと集まって、それはそれは爽やかな世界になるそうだ。

ワンダーフィスティバルは、
2006年2月19日、東京ビックサイトで開催されます。
興味を持たれた方は、どうぞ海洋堂・ワンダーフィスティバル公式サイトをご覧ください。


ということで完成している45cmの人形はこんな感じです。

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目下制作中の80cmの人形はこのような状態です。
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