OIKAWA,Satoko blog

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space UMU の個展 

東京では2年に一度ほどの割合で個展、その間にコンクールに出品したり、グループ展に参加したりという発表をしてきた。今月の末、仙台で初めて個展を開くことになった。ふるさとで発表をするのである。特別な嬉しさを感じる。

「日本画」が私の専門である。美容院で仕事を問われ「絵を描いてます」と答えると「え!漫画とかですか?」「いえ、あの、日本画です」「日本画って墨絵ですか」「そうではなくて…」と、大抵、同じ質問が同じ流れで再現されるから面白い。
「日本画は岩絵具という岩を砕いて細かくしたものを膠という糊で和紙に定着させて描きます。墨も使いますが多くの色、金や銀などの箔も使います。自分は風景や人物も描くけど、花を基にした抽象的な絵を多く描きます」と、簡略に説明するのにも慣れた。すると「絵が描けるって良いですよね~。私、苦手だったんですよ。見るのは好きなんですけど。ラッセンとか高いですよね~」と言う。驚くほど同じに言う。「苦手と思っている人は多いですけど、それって学校の美術の授業のせいですよね。髪の毛が切れるんだから、美的センスは良いはずですよ」と私も必ず答えることにしている。

絵を描いている、と話すと聞かれる定番の質問が「一枚仕上げるのにどのくらいかかりますか?」である。「ハガキくらいの大きさの絵もあるし、2メートル以上のものもあるので一概にはいえません」と答えることにしている。しかし、本当はそんなに単純ではない。制作は作業ではないから、コンスタントに進むものではないし、第一、いつが制作の始めと考えるかが難しい。最初の一筆を入れる時か?下図を作り始めた時か?それとも頭の中に構想が生まれた時か?

表現を日常にするというのは「さて、創るぞ」とはちまきをするようなものではなくて、いつでもぼんやりと考え事をし続ける生活なのである。制作は「始まる時」も「終わる時」もない。体温が36.5度あたりをキープしているような感じだろうか。にわかに知恵熱が出て、ああこれこれ、なんて思った時が制作の始めなのかもしれない。作品として出来上がったとしても、残った熱がもう一枚描かせることだってある。熱が下がりきることがあったとしたら、本当に自分も「終わり」ということだと思う。

小学校からの幼なじみと今も良く会う。そんな友人たちは私が絵を描いていることを至極当然と受け止めてくれている。同窓会に出た時も中学卒業以来会っていなかった悪ガキ君に「で、今、絵を描いてんの?俺、サット(私の愛称である)が絵描いてる夢みたことあっと。ラッセンみたいな」と言われたこともある。結構、感動させられてしまった。久しぶりに会って、お調子者の悪ガキ君だから喜ばせようとそんなことを言ったのかもしれないが、こういうことを喜ぶと察してくれたなら、それだけでも実際嬉しい。(…にしても、ラッセン恐るべし!)

今年の河北展(東北で昔からある公募展)での搬出の際も、美術運送の担当者が中学校の同級生だったのには驚いた。「搬入の時、名前見てそうかな?と思ってたんだ。」と笑っていた。
絵を描く、色の黒い、男の子みたいな子、というのがきっとみんなの記憶している私の姿で、結局それは今も変わっていないのだ。髪を腰まで伸ばしたこともある。少しは美白を試みたこともある。美大で理論も学んだし、仕事で世間も少し知った。それでも、結局、みんなの記憶の姿のほうが、本質的に私自身なのだろう。

柴田町に住み始めてから驚くことの一つが空である。きれいで広い。雲や月の姿を絶えず眺めて暮らしている。大きく開けた景色を見ていると、イメージも大きくなるし、一筆のストロークも大きくなる。のびのびと手足を伸ばすように絵が描ける気がしてくる。
小学生の時、半ズボンをはいて校庭の銀杏の木に登り、教頭先生に叱られた。大きな木や岩を見ると登る子供だった。足の指も猿のように枝を握ったように思う。柴田に来てから毎日裸足である。子供の頃には及ばないけれど、かなり手の器用さも復帰していると思われる。日焼けの調子もいい感じである。

ふるさとでの個展は、本当の「ただいま」になるだろう、と思っている。
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