OIKAWA,Satoko blog

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理解してくれる人を 

「ニュー・アート・コンペティションof Miyagi」の展示が始まってからこのHPのアクセス数が明らかに増加している。会場にいるとあまりの入場者の少なさに寂しくなってしまうのだが、展覧会を通して幾人かでも私の制作に興味を持ってくれているのかな?と思うと素直にとても嬉しく、ありがたく思う。今、このページを読んで下さっている貴方へ「ありがとうございます」です。

地元ではじめての発表ということもあって、子供の時からお世話になっている人々が会場に足を運んでくださる。「大きくなったわね~。こんな大きな絵をねぇ~。立派ねぇ~」なんて褒められて、やっぱり嬉しい。多分、そう言ってくれる人は私の絵が小さかったとしても、内容が褒められたものじゃなかったとしても「立派ね~」と言ってくれるんだろうと思う。なにしろ開口一番「大きくなったわね~」だったりするのだ。30過ぎて大きくなったと言われるとき、相手の目の中に幼稚園児くらいの「サトコちゃん」を見つけることが出来る。そんな人々に囲まれて自分はここまで来たんだなとつくづく思う。

私の出身大学は現代美術色が強い。大学の先生はもちろん作家であるから展覧会も開く。初日の夕方会場に着いてしまいオープニングパーティーが始まったことがある。オープニングパーティーには作家やキュレーター、評論家などが集まり盛んに自己アピールが繰り広げられる。現代系の仕事の場合、こういった自己アピールは大事な仕事になったりする。大学の構内では作家然とした先生がギャラリーで評論家を前に戦々恐々としている有り様に心底ゾッとしたのを覚えている。

眼の端で私達生徒を見つけ慌てて目をそらした様子に招かれざる自分たちを実感し足早に会場を出たものだった。 誇らしく「僕の生徒です」と紹介されるくらいの制作をしていたなら良かったのかもしれないけど美大の1年生にそれは無理というものだ。

その後、教育大学の美術教育学部に進み日本画を学んだ。日本画の世界は今だ公募・団体展の威光が強い。そのことを批判されることも多い。
当時、団体の会員(現在は脱退されている)である先生が展覧会をされたとき、生徒数人で会場を訪れた。先生はソファーで接客中だったにもかかわらず私達を見つけて立ち上がり「あぁ、良く来てくれたね。僕の学生です」とその場の人々に紹介してくれた。その後、先生はのんびりとソファーに座り直し、来客者との会話を再開した。その内容は自身の作品の説明でもアピールでもなく、かっこいい自転車についてだったと記憶している。

団体の中で受賞したり立場を上げていくこと、評論家に認知されて企画展やメディアに取り上げられていくこと、どっちもどっちなんだろうと思う。作家で生きていく以上、自己アピールのようなことをしない訳にはいかないだろう。
そういったことに魂ごと飲まれていく人はそれまでのことなんだと思う。そしてそんなことなんかしなくても人目を引かずにはおれない天才もいるだろう。私のように天才に恵まれなかった表現者は、ぎこちなくも真摯に理解者を探していかなくちゃならない。それが現実なんだろうと思う。

制作の良し悪しを飛び越えて私が活躍していることを喜んでくれる人を、いつだって人目を気にせず大事にできる人でありたい。同時に自分の制作の良し悪しを見極め評価してくれる人にも感謝していきたい。発表をする以上、否定もされるし無視だってされる。そんな中、少しでも「良い」と思ってもらうことは本当に凄いことだ。次にどこかで私の作品を見て「あの人だ」なんて思い出してもらったり、「この子は私の近所に住んでたのよ」なんて自慢にしてもらえたりするのも得難い幸福だ。

自分に向けられた肯定的な感情や感想を、小さくてもささやかでもちゃんと受け止めて、忘れず、感謝して、制作の支えに変える。そうしていくことで自分の表現が一人でも多くの人に認知されることが出来たら作家として最高にしあわせだ。否定的な意見をどうしても気にしがちだけど、至らぬ表現であっても良い部分を取り上げてくれる視線の方をこそ、心に留めていく楽天さが私には今必要なのかもしれない。

同じ茨の道なら、せめて日差しの暖かな道を選んで行くほうが遥かに遠く歩いていけると信じて。
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街を出る 

ちょうど去年、ギャラリー戸村での個展直後、埼玉県朝霞市から宮城県仙台市に引越してきた。そして今「ニュー・アート・コンペディションof Miyagi」会期終了を以てまたしても引越をすることになった。宮城県の中、仙台から柴田町への引越である。

柴田町は仙台の南に位置し県内でも暖かな気候なのだという。日本で柚子が収穫できる最北端。新しい家は柴田町の小さな市街地からもかなり奥まった山の中である。家の横手には山。そのためテレビなどの電波状態も悪い。PHSを愛用していた私はとうとう携帯電話への移行を余儀なくされた。

…だがしかし、この家、相当にワクワクものなのだ。古いけど、とにかく広い。8部屋もある。お風呂は二つあって、ひとつは五右衛門風呂。納屋も付いている。納屋の二階はハイジの山小屋のようだ。 電波が悪かろうと、ADSLが使えなかろうと良い!こんな家に住むのなら東北に来た甲斐があるというものだ。すさまじく急ではしごみたいな階段を上る。ギシギシ鳴る二階の窓から見えるは山と空。

なるたけ引越料金を節約したいので、荷物を少しずつ車で運んでいる。夜、荷物を運び込む間、愛犬は家の周囲を偵察している。家の横手の山をクンクン嗅ぎながら登っている。おーい、と呼んで懐中電灯で愛犬を照らすと闇夜に浮かぶ彼女の瞳。まるで野生の獣だ。 よし!私も野生児になるぞ、と思う。

宮城に越すことを知らせると、関東の知人には「田舎は良いわね」とか「街を離れて大丈夫か」とか「熊に気をつけて」と言われた。中には名残惜しいねと言いながら美空ひばりの「リンゴ追分」を聞かせてくれた先生もいた。日本6大都市のひとつ、なんて声高に自称しても仙台は東京人の意識の中では今まだ道の奥なのだ。
関東育ちのOTTOは東京で編集者をやっていた。その生活に区切りを付け、東北に来る時点で彼には私よりも「覚悟」があったということに今更気がつく。仙台で生まれ育った私は東北に暮らすことが都会の暮らしを捨てることになるとは思っていなかった。地方都市として発達した仙台はむしろ東京より暮らしやすい面も多い。便利さを手放す覚悟など私にはなかったのだ。

街を出る。今度の引越はそういう決断なのだ。愛犬は山が好きだ。関東にいたときも高尾の山を超高速で駆け登り草花の種を毛に付着させながらご満悦だったものである。彼女は山を下るときも信じられない速度で降りる。そんなとき、私は自分の身体感覚が著しく衰え、空間把握が出来ていない事を感じた。
街というのは平面世界だ。距離感なんて人と車との間にしか必要ない。平板な道。必要な情報の多くは看板である。3次元の現実を2次元に組み建て直すことが都市のインターフェイスなのかもしれない。それに馴れていると山や自然の勾配に身体が付いていけない。走って下る次の着地点がどれだけの距離を計る。しかも横にだけではなく高低の距離感も一瞬に目算しなければならない。足首が受ける衝撃はどれほどであり、そしてそこは乾いているのか、ぬめっているのか草むらなのか木の根なのか、必要な情報の多さに私の衰えた感覚が毛穴をちぢこませる。

現代の表現は観念的になり、作家の観念を象徴するためだけに存在する事物で美術界はいっぱいだ。事物が事物自身で存在することを、人が認識する以前から、人に命名される以前からそこに在るものは在るのだということを、街のなかで多くの現代人は忘れてしまったように思う。
でもね、ほんの少し車を走らせれば観念吹き飛ぶ実在の世界はかつてと変わりなく確かに存在するんだ。そこに在るものは人間におかまいなく、まして作家になどおかまいなく存在している。

私はその世界に暮らして、自分の身体を取り戻そうと思う。山の勾配を駆け登り、足早に下ることの出来る生き物になりたい。そこから私の今後の制作は始まるのだと思っている。

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