OIKAWA,Satoko blog

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夏の宴と虫刺され 

ブヨに刺された。全身、20ヶ所をゆうに越える数、刺されてしまった。
先週末、OTTOの高校時代の友人が埼玉から遊びに来た。せっかくの仙台旅行に来てくれたのだからと庭で七厘、牛タンを焼いた。お酒好きの友達だから、普段は飲めない上等なバーボンや焼酎をお土産に持ってきてくれて夕方から夜中まで、和やかな宴が展開。

次の日、全身の虫刺されに気付く。初めは蚊に刺されたのかな?と思っていた。私はアレルギー体質なので蚊に刺されても物凄く腫れる。ムヒを塗って、だましだまし夕方を迎えた。お友達を駅で見送った帰りの車の中、足首の腫れが尋常でないことに驚く。赤ちゃんの足首のようにくびれ、くびれたところに水泡が出来ていた。熱を持ってパンパンに張っている。
シャワーを浴びようと上着を脱ぎ何気なく鏡を見て驚愕。背中には赤く腫れ上がる無数の患部。そのいくつかは合体し広大な面積になっていた。
高熱が上がったりすると「せっかく熱が上がったから」と、体温計を家族中に自慢して見せるのが私の実家の流儀である。今回の虫刺されも、一人で鑑賞するには実にもったいない。速効、小鼻を膨らませてOTTOに見せた。ほらほら、と背中をめくると「うわぁぁぁぁぁぁ!」と期待以上のリアクション。良い人と結婚したものだと満足感に浸った。 …などと、メンタルな満足はOKとしても、この虫刺されは尋常でない。「これは蚊ではないよ。ブヨだよ、ブヨ」とOTTO。ネットで調べると確かに患部の状況はブヨ刺症そのもの。だんだん身体はだるくなる。特に足首の腫れはひどく歩くのもつらい。

次の日は観念して大学病院へ行く。「どこですか?ああ、ひどいですね」と言いながら、若い女医さんは患部の腫れを計る。腕、背中、足首、ひざ小僧…。「あとは?」と聞かれ、本当はお尻も数ヶ所刺されていたが、お尻まで計られては困るので「そのくらいです」と答えた。
その後、多分偉いんだろう中年のおじさん医師がやって来て、若い女医さんと私、交互に説明を始めた。「これは、○×○○×症っていうんだけどね、幼児に多い症例だけど」なんて言われてる。多分、水泡のことだろう。女医さんはしゃっちょこ張って真面目に聞いている。おじさん医師は後ろ手に組んで、壁に背中を付けくつろぎモード。大学の先生が生徒と世間話するような空気だ。「多分、ブヨですね。蚊に刺されても大げさに腫れるほうですか?」と私に言う。「すごく腫れます」「同じ虫でも、たいして腫れない人と大げさに腫れる人がいるんですよね」大げさ、って表現はいかがなものか?と思いつつも、神妙そうにうなずいてみせた。「掻いちゃだめですよ、一ヶ所掻くと全身がまた腫れたりしますから」とも言われた。

ステロイド入りの軟膏と飲み薬を処方されて帰る車中で、抱っこしていた愛犬がムチムチと私のひざ小僧を踏む。丁度、患部に当たる場所。全身鳥肌が立つような快感である。お医者さんの「掻いちゃだめですよ」の声が頭に響く。
とはいえ、今回はかゆみが大分少なく感じられた。大けがをすると痛みがマヒするというがそれに似たことが起こったのかもしれない。あの無数の患部が100%のかゆみをもたらしていたら、と想像するだけで気がふれそうである。人によってはひどい頭痛、発熱にも襲われることがあるそうだ。山に遊びに行く人はブヨには気を付けよう。半袖、半ズボンで山歩きはご法度である。

いただいた薬は良く効いて、ほどなく腫れもかゆみもおさまっていった。ただ、飲み薬は副作用でひどい眠気に襲われるため、2日ほど日にちを無駄にした。眠くて眠くて何も出来ない。全く、ほんの数ミリの小虫にしてやられたものだ。
実家の両親には「何でそこまで刺されるくらい、じっとしてたの?」と聞かれた。ことの次第を話すと、馬鹿だ馬鹿だと叱られた。 でもね、七厘で焼いた牛タンはおいしかったし、焼酎もおいしかった。野外の宴は本当に楽しかったのだから仕方ないのである。夏らしい日の少なかった今年、唯一夏休みを思わす一夜だったんだもの。
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岩手のおばあちゃん家 

5年ぶりに父の実家へ行く。みちのく・岩手、本気で山、山、山の奥の奥の家だ。
私は車に乗ると眠くなる。子供の頃はそれが顕著で、仙台の家を出るとすぐ寝込み、岩手の父の実家に着き起こされるまでほとんど熟睡だった。父の家は、岩手の南、宮城県との境なので、ほんの2~3時間で着く距離だ。しかし、眠りに入った時と、覚めた時の世界の変貌ぶりに、とても自分の家と父の実家が地続きだとは思えなかった。
父の実家に着くと、見渡すかぎり山であり近所に家など見当たらない。大好きなおばあちゃんは、明治女性らしい厳しさを持った人。話す言葉は完全な岩手言葉なので当時の私には9割以上理解不能だった。
私が子供番組を見ていると、子供好きのおじさんがひじって(可愛がって意地悪をすること)わざとチャンネルを変える。するとおばあちゃんがたたんだ新聞を手に腰を曲げて登場。岩手弁でおじさんをたしなめながらテレビの前を横切るとアラ不思議。チャンネルはもとの子供番組に戻っている。おばあちゃんは身体も顔もテレビに向けたりせず、テレビの前を通り過ぎるだけ。種はあの新聞だったのだろうが、当時の私にはおばあちゃんが魔法を使っているとしか思えなかった。
夜にはたくさんのお肉を焼く。大人はお酒、子供にはジュース。憧れのファンタ連続飲みである。ファンタグレープも、オレンジもポンポン開けてもらってどんどん飲んで良いのだ。お肉、ジュース、お肉、ジュースの黄金連鎖である。
茨城に住むおばさんはいつも大量の花火をお土産に買ってきてくれて、岩手のいとこがそれを2晩かけてやり切ってくれる。広い濡れ縁に大量の花火を並べてどれにしようか迷う幸せ。何しろ、迷惑をかける隣人はなし。打ち上げ花火もやり放題。 「見て!見て!」と子供の私が声をあげれば、おじさんおばさんが「お~、きれいだねえ~」と振り向いてくれた。
不服な点はたった一つ。ご飯がなかなか出てこないことだ。お酒を飲むときはご飯が最後に出るなんて子供には分からないから、お肉が少なくなってからご飯が出るのが困った。お肉とジュースでおしまいなら良いのにな、と毎年思ったものだ。

大人の宴が続く中、花火も終わって子供は就寝。広い座敷に一人寝かされる。高い天井は薄暗く、寝つけずに見つめていると、床と天井が逆さになって自分が天井に張り付いているような錯覚に襲われた。床の間の人形や、いとこの描いた「ブルース・リー」の目がこちらを見ているようで怖かった。
遠くから、大人の話し声や笑い声が聞こえてくる。外では蛙や虫の声がする。独りぼっちのような気持ち。そんな時大体、隣の部屋から「早ぐ寝ろよー。さどっこ(さとこ)寝かせたのが~?」と、おばあちゃんの声が聞こえてきた。おばあちゃんもひとりで寝ているんだなあと思い、そのおばあちゃんの言葉に自分の名前が含まれているのが嬉しかった。
朝起きると、障子に庭が逆さに映っている。雨戸の節穴が作用して幻灯機になるのだ。おじさんやいとこが働きだしている音がする。両親が眠る横をこっそり抜け出して、鍵なんかない玄関の障子を開けて表に出る。夏でもひんやりする山の空気、朝もや。ちょっぴり怖い屋外のトイレに行って、またふとんにこっそり戻る。

今年は、私もお酒を飲んだ。魔法を使えたおばあちゃんは、私が結婚する頃に亡くなってしまった。私をひじったおじさんは、OTTOと人生を語っている。時代は移って、私も大人になり岩手の家も子供の頃のようにファンタジーの領域ではなくなった。
「ところでさ、聡子さんはまだ絵を描いているの?」と、末っ子のおじさんが尋ねる。「はい、一応続けてます」と答えると「それって、どういうことなのかな?やっぱりさ、肉親だから聡子さんのしていることを理解していたいんだけど、良く分かんないんだよね」と。
私はありがたさに言葉につまった。
先に寝かされていた私は、大人になって宴の最後まで席にいた。それでも、幼少の頃からを見ているおじやおばには、守るべき、見つめるべき存在であり続けているのだ。「さどっこ、寝かせたのが~?」というおばあちゃんの声を思い出す。
自分が、今、このように在ること。そこにつながる幾つものこと。自分が自分の生き方を背負うということは、私一人の問題ではあり得ない、と思う。古いと笑われるかもしれないけど、笑われても、そんな考えを根底に据えずにはおれない自分が育まれた環境とは、こういうことだったのだろうと思った。

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