OIKAWA,Satoko blog

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木の芽時 

私は、高校まで仙台にいたし上京してまず住んだのは東京のチベット・高尾山のふもと。これまでだって自然に囲まれていたはずなのに、今年ほど春の力に圧倒された年もなかったように思う。

我が家周辺は市街化調整区域ということで開発がされていないため、山の趣が結構残っている。住んでいるのも昔からの人が多く、庭の木も大きい。ガーデニングのようにプランタ-に可愛げな花という家は少ない。水仙もムスカリもチューリップもみな直植えだ。
寒さに凍っては解け凍っては解けしてカチカチの地面を割り水仙の芽が出ている。「あれま」と見渡し、そこかしこに様々な草花の芽をみつけびっくりする。木の枝々にも細かな黄緑が散らされていて若葉が萌だしているのだと気付く。
寒さに固まっていた自分の身体も春になり柔らかくなった。動きやすいし、感覚が外に広がるのを感じる。身体というものが自然物なんだと知る。木々が萌えようとする力と自然物としての自分の身体が共鳴するからだ。

「木の芽時」には精神の病が疼き出すらしい。春といえば芽吹きの頃、そして恋の季節。生きとし生けるものは押さえきれない本能に突き動かされて病だろうと恋だろうとあらゆるエネルギーが込みあがるのを押さえられないんだろう。

愛犬にもやっと生理が来た。引っ越し等、環境の変化のせいかずいぶん遅れた。犬は決まって春に発情期を迎えると思っている人がいる。それは間違い。それに、発情期がオスにもくると思っている人も多いが、それも間違い。メス犬には年に2回発情期があって、その際ローレライな香りを周囲に放つ。その香りに誘われてオスは初めて発情するんだ。犬において、恋は女性にその先導権がある。発情したメス犬がそばにいなければオス犬は一生発情はしない。よくテレビで愛犬のお見合いなどやっているがあれほど下らぬおせっかいはない。
だから、春なので彼女に生理が来たのではない。でも、今年に限って春が彼女に何らかの作用を果たしたのは事実のように思う。私が今年の春を、これまでにないほど強く強く感じさせられたように。

黄色やピンクは苦手な色だ。居心地が悪いくらい綺麗で可憐で幼稚だからだと思う。無防備になるほど浮き浮きワクワク、子供の手招きみたいに誘われてしまう。理性を軽々と飛ばして身体を疼かせる。菜の花にたんぽぽ、ミツマタに桜、花々が咲いて、小鳥も鳴いて、そんな道を愛犬と散歩。彼女は我知らずローレライな香りを振りまいているんだろう。

町中では制御しやすい自然物としての身体が、こんな自然に囲まれた土地では味方を得たりと主導権を握る。心地よく、自分の中の自然に感覚を任せ、萌える思いに酔うこの頃なのである。
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賢いカラス 

東北もすっかり春。でもでも、私の教習所通いはまだ続いている。入校したのは1月の下旬だから早3ヶ月。制作の合間を縫って通っているから…なんて言い訳してみる。とはいえ、どうにかもうすぐ卒業検定。一度で合格できるように頑張ろう。

路上教習が終わると所内コースに戻って少し走る。クールダウンと言ったところだろうか。最近、このコース内にカラスが現れる。全国ニュースに取り上げられたこともある「仙台の賢いカラス」を知っている方もいると思う。道路に胡桃など割りたいものを落とし車がひいて割ってくれるのを待ち中身を食べるカラス達。彼等の知恵を伝授されたカラス達らしく、何かをコース道路に置いてそばで待ち構えている様子。かなり車のそばに堂々と居座っている。テレビで見た賢いカラスは車を避けて電信柱の上で待機していたはず。教習所カラスはコースを走るドライバー達がひよっこであり速度も遅いので避難の必要がないことを知っているようだ。

カラス達は私より「自動車の使い方」についてずっと知っているんだろう。でも、ひいてしまうのではないかとこちらは気が気ではない。車間距離とか、車体認識とか、てんであやふやな初心者の私なんだもの。「くぅ、ばかにして!」とくらいに腹を立てるくらいの気概が欲しいけど「う~ん、さすがだ」と感心するので精一杯。とほほ。

さくらの会 

柴田町で、始めての春を迎える。おととし、長い関東生活に区切りを付け、故郷・仙台に越して一年、去年の秋に再び引越、柴田町に暮らすことになった。
33年生きてきて、すでに11度目の引越。宮城、東京、埼玉、そして宮城に戻ってきた。それぞれの県の都市部や田舎を転々として、今、桜と柚子の里、柴田にいる。

私は日本画を描く。日本画は基本的に床に寝せて描くので、アトリエは広くなければならない。犬もいるので、借家を探すのにとても苦労をする。広くて、安くて、ペット可などという物件は皆無といっていい。関東を引き上げ、引越した仙台の家は2年目には家賃が上がるという。夫は会社勤めを辞めたばかり。八方ふさぎの日々が続いた。
そんなある日、「聡子ちゃん、絵手紙描いてみない?」と、知人が柴田さくらの会・絵手紙コンクールの応募要項をくれた。柴田町には両親が住んでいる。柴田のさくらがとても綺麗なことは聞いていたし、小さな絵を描くのも好きなので、絵手紙というよりは小品を仕上げる気持ちで桜を描いてみた。白群の空に、大きな桜、花びらが散りその根元に積もっている。その絵手紙が、なんと大賞に選ばれた。

授賞式で、さくらの会メンバーの皆さんにお会いし、そのさくらへの思いの深さに感銘を覚えた。花が咲けば、誰もが見上げるあの桜も一年を通せば、けっして常に主役というわけではない。花を咲かせていない桜を、人知れず世話する人々がいることに、私はとても感動した。記念樹として、町の内外の人が自分の桜の苗木を植えることもできるそうだ。その苗木の世話もさくらの会メンバーが務めているという。
「小さな町の良さ」なのではないかとも思う。大事に思う町の、誇りとする桜を、直接、自分たちの手で世話し、育てる。桜を育てることは、町を育てることでもあるだろう。行政だとか、窓口なんてそこにはなくて、虫を駆除するとか、土を掘るとか、花を待つという身近で優しい作業が繰り返されている。良い町だなぁ、と思った。

その町に、まさか自分が住むことになるなんて、人生不思議なものである。納屋の付きの農家を格安で貸してくれるという話しが舞い込んだのだ。もちろん、犬もOK。
自分の制作も、夫の仕事も何も好転したわけでもなく、そうである以上、八方ふさがりな状態に変わりは無かったのだが、柴田町への引越を決めた時、私は目の前が開けていくのを感じた。とても自由になる気持ち。複雑に絡まった糸のような未来図が、可笑しいようにぷっつりと切れて、他にどんな未来図も現れず、ただ真っ白な「次」が私達の一歩を待っている、と思えた。

柴田町で最初の春。私達の暮らしも好転し始めた。桜の開花は例年より早いという噂を聞く。「きっと今年のお花見は最高だね、一目千本桜、ってすごいんだって」などと話していたら、さくらの会の方から、このエッセイ掲載のお話をいただいた。巡り合わせというものを感じずにはおれない。つたない文章でも、なにかしら自分なりにこの町についての素敵な発見を、綴ることができるよう切に願っているところである。

雪の定義山 

仙台から山形に向かって車で小一時間も走ると定義如来をまつる「定義山」に着く。八百年ほど前、平重盛が平和祈願のため中国の欣山寺に黄金を寄進した際、送献された阿弥陀如来の宝軸。平家が壇ノ浦の戦いに敗れた後、平貞能がこの宝軸を守り源氏の追討を逃れるため名を定義と改め、この地に隠れ住んだのが定義如来の由縁。

ここは美味しい揚げ立て油揚げを食べさせてくれる店がある。お醤油と七味でいただく。じつにおいしい。
定義山に行った後、もう少し足をのばして山形の山寺まで行ってみた。ほんの子供の時行ったきりだったが、覚えていることと言ったらひたすら階段がきつかったことと、母が体調を壊したことだけ。今の歳でどう感じるだろうかと、楽しみではあったがこんなに感動するとは思わなかった。

勾配のきつい山道の至る所に石仏がある。山岩にも仏が刻まれており、山に無数の仏が遍在している感覚になる。きつい階段を息をきらし、多くの人と道を譲り譲られながら登っていく。
「日本人(自分)は信仰心がない」って、よく自己申告する人がいるけどそういう人は信仰と言うのがすごく特別なものだと思い過ぎているんじゃないかと思う。「ひゃ~、きついねぇ」「がんばれがんばれ」なんて家族声を掛け合って階段を登ること自体に、祈ると知らず祈っているような素朴な信仰を見るのは私だけだろうか。仏様はあちらこちらでその人々を見守っている。
見守られていることに気が付くこともない程、登ることに必死な人々は疑うことなく極楽に登り行くのではないだろうか。…って考えてる自分はそういう救いの道からは逸れているんだろうけれども。

愛犬も共に登った。帰り道の女の子に「ワンちゃんすごい」なんて言われながら愛犬おおはしゃぎ。「何かわかんないけど階段長いねぇ!どこまでもどこまでもどこまでもだねぇ!!いっしょいっしょいっしょだねぇ!」と、ちっとも休む気も起こらないように猛スピードで登る。OTTOはニコチンでコーティングされた肺を恨みつつ「あぶない!わ、あぶない!」と必死。OTTOの名誉のために付け加えるが石段には雪が残っていて本当に危ないのだ。
でも、その雪も良かった。雪自体は解けかけているし、みんなが登るので泥によごれちっともきれいではない。でも陽の当たるところの暖かさに対峙して日陰に残る雪は湿気を含んだ冷気を発してなおいっそう山に霊性を与えているように思われた。
今度は夏に行こう。夏には雪に隠れていた苔がまた別の趣をかもし出すのだろうな。

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