OIKAWA,Satoko blog

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鳥の名前 

風邪なのかインフルエンザなのかただの疲れだったのか分からないけど、高熱に見舞われた。 胃痛のため薬を飲み、痛みが和らいだと思った頃に悪寒がおそってきた。この熱の前兆である悪寒を実家では「つぁらつぁらする」と表現する。肌の表面が痛いような、細かな鳥肌が治まらないようなあの感覚のことである。
感覚の表現は慣れてしまうとそれ以外に表現のしようがなくて時々不自由をする。方言なんかも微妙な感覚の表現が多いから共通語で話さなければならないとき困る。
例えば「いずい」。東北弁で「いずい」というのは衣服などがたごまって…と、この「たごまる」も方言だから言い直すと、シャツやインナーが上着の内側で変に皺になったときなんかにちょっと動きづらいような気持ち悪い感じがする、あの感覚のことだ。
「何か、いずい」と言って関東の友達に「?」という顔をされ、説明するのが実に難しかった。
西洋には「うまみ」という言葉がないという。だから「うまみ」を説明することは難しい。観念なら説明のしようもあるけど味覚は体験が必要。が、多分同じような体感をしようと同じものを食べても独自の感覚として「これ」と知っていなければ通り過ぎてしまうに違いない。

「月の名前」「空の名前」という本もあるが、そういう名前は知っておくべきだと思う。北国に住むなら雪の名前も。飛行機雲を見ると多くの人は目を止めて「飛行機雲だ」と思うのではないだろうか?それは「飛行機雲」という名前を知ったことであの雲を「知った」からだと思う。そんな風に景色や感覚の様々に立ち止まる回数が増えることは豊かなことだ。それらに名前を付けた昔の人のセンスに感動も出来る。
名前が定着するというのは多くの人の共通認識になるということだから、名を知ってそう呼ぶ時、昔の人々と感覚や自然の共有ができるということになるだろう。
エンデの「はてしない物語」では主人公が壊れかけたファンタージェンの様々なものに名前を付けていくことによってファンタージェンを生き返らせる。そんな風に月も雪も空も名前を取り戻したら生き生きと人の心に映えていくんじゃないかしらん。

庭に来てくれた小鳥を見て「あ、小鳥」と思うだけの自分に貧しさを感じる。あの鳥の名を知っていたら、小鳥の姿はもっと私の心に強く映るだろうに。知るべきことはたくさんある。
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