OIKAWA,Satoko blog

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父娘展に寄せて その1 

粘度

3月に開催の父との2人展のため、
家族写真など準備することになり、昔のアルバムを出してみた。
父の彫塑をいじる幼児の私を発見。
うっすらと、この時の記憶がある。
お腹のあたりをへらで削って取っている記憶。

仁王

さかのぼって、もっと昔のアルバムを発見。
まだ20代の父。今の私より、ずっとずっと若い。
私はもちろん、この世にいない頃の写真だ。

自分も美術の道に進み、作品を発表するようになってから、
「お父さんがお前の歳には……」とよく言われてきた。
比べてお前はいつまでも形にならない、という意味だ。
こんな写真を見ると、そう言われるのも致し方なしと思える。

自分なりに、父の背中を見ながら、よちよちと育ってきた。
自分も40歳となって、
はじめて父の作品と自分の作品が展示されると思うと、
不思議な気持ちになる。

私との2人展が開かれることを、
父はシンプルに「愉しい」と言う。
私はその言葉が素直に嬉しい。
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建築はどこにあるの?7つのインスタレーション 

9月に開催の3人展に向け、制作に没頭中のため、
言語野がすっかり停止状態なので、
先日見に行った近代美術館での
「建築はどこにあるか?7つのインスタレーション」
で撮影した写真をUP。


建築1


建築2

中村竜治 《とうもろこし畑》 2010年
© ryuji nakamura architects co.,ltd.
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館



建築3


建築4


建築6


建築7

内藤廣 《赤縞》 2010年
© Naito Architect & Associates
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館
この作品ではストールのようなものが用意されていて、
それを好きにまとったり、振ったりすることで、
光の筋を味わうことが出来るようになっている。
ちょうど外国人の観覧者の方々がおり、
ストールでノリノリになってくれていたので
その様子を撮影。
最後のショットは私の手。



建築8

菊地宏 《ある部屋の一日》 2010年
© hiroshi kikuchi architects
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館


建築11


建築10


建築9

伊東豊雄 《うちのうちのうち》 2010年
© Toyo Ito & Associates, Architects
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」
東京国立近代美術館

この展覧会は見る人が
建築がどこにあるかを探すことがテーマなので、
その手だてとして、写真を撮ることが許されている。
撮った写真をflickerに載せることも企画の内のよう。
参加型のインスタレーションはいくらもあるけど、
写真を撮るというのは、普通のようでいて
存外非常に面白かった。
建築というものが、
はじめから人を招き入れるものであることを、
あらためて感じたりもした。

常設展も、同時開催の企画展「いみありげなしみ」も、
撮影可とのことだったので撮ってみたけれど、
建築のインスタレーションのようには楽しむことができなかった。
やはり、美術と建築の違い、
人と作品との関わりかたの違いがあるのだろうと思う。

企画展「いみありげなしみ」には
村上華岳の作品も出ていた。
しかし、撮っていいと言われても、
どうしてもカメラを向けることが出来なかった。
華岳の絵が持つ宗教的なオーラのためだと思う。

菊池契月

常設展には、菊地契月の鉄漿蜻蛉(おはぐろとんぼ)が出ていた。
菊地契月は私が日本画に惹かれるきっかけとなったひとり。
絵の中の少年が、物憂げで可愛らしく、連れ帰りたくなって撮影。


コーネルの箱の中と外 

コーネル

コーネルの箱が見たくて、川村記念美術館に行った。

美術館の廊下に貼られたポスターの女性が、
《 無題 ( ラ・ベラ [ パルミジャニーノ ] 》
というコーネルの箱の中の女性であると気が付いて驚く。

ポスターは、西洋美術館でもうすぐ開催される
「カポディモンテ美術館展」のもので、
この絵は出品予定作品、パルミジャニーノの
《貴婦人の肖像(アンテア)》なのだそう。

この偶然に、気付いたことが嬉しくて、
ポスターの前に、コーネル展のフライヤーを重ねて写真を撮った。

この貴婦人を、コーネルが心に留め、
切り抜いて、箱に納めるまでを想像する。
生活の中から、貴婦人を選り分けて、
コーネルの思う、
彼女の存在すべき処に、
彼女を配置する過程を想像する。

箱は閉じられた。
コーネルの箱の中と外。
もう同じ貴婦人ではない。



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コーネルは映像作品も残しているが、
私は見たことがないので、いつか見てみたい。
コーネルにとっての「時間」の形を知りたい。

「朝鮮王朝の絵画と日本」展 覚え書き 

5月9日(土)
「朝鮮王朝の絵画と日本」(仙台市博物館)を見た。

中国絵画はたくさん見る機会もあったのに、
私は朝鮮絵画を意識したことがなかった。
同じ東洋画でありながら、考えてみれば不思議なことだ。
朝鮮絵画を見る機会もなかったし、文献を目にすることも無かった。

今回の展覧会は、日本で、これまで取り上げられることが
ほとんどなかった朝鮮絵画をまとめて展示し、
また、同時代の日本絵画も共に展示することにより、
朝鮮絵画が日本絵画に及ぼした影響を見直すという、
日本美術史的にもとても意義深い展覧会だったと思う。

会場に行く前に、橋本慎司氏(栃木県立美術館特別研究員)による
「朝鮮王朝の絵画と雪村」」という講演会を聞いた。
スライドの始めは安堅の「夢遊桃源図」。
この絵が非常に面白かった。
遠近感がほとんどなく、画面表面に平面的に増殖する岩。
階調も少なく、コントラストが強調された墨色。

講演会で面白かったのは、
「朝鮮絵画は中国絵画として日本国内に流通したのではないか」
という橋本慎司さんの説だった。
『都には中国の絵画を始め、朝鮮の絵画も入ってきていた。
 当時、中国絵画は最先端の絵画だったから、
 都の偉い人たちはそれを自分のものとして大事にし、
 朝鮮絵画の方は、地方からやってきた人に、
 「これは最先端のアート、中国絵画だよ」と偽ってお土産に持たせた。
 その作品が、地方のお寺などに寄贈され、
 それ元に地元の画家たちが中国絵画と信じて手本とし、
 技法を学んだことにより、知らぬ間に
 日本絵画の中に朝鮮絵画の影響が入ってきたのではないか。』
というのが、橋本さんの説だ。

当時の地方文化がどのくらいの鑑定眼を持っていたか分からないので、
「朝鮮絵画と知らずに、中国絵画だと思って手本にした」かどうかは、
私には分からないけれど、
たくさんのスライドで比較された朝鮮絵画と、
日本絵画のいくつかは、非常に似通った技法で描かれており、
その影響は確かで、かつ、大きなものだと思った。

また、中国絵画にはない、キッチュさや諧謔性も、
今、大人気の若冲などに影響を与えていると思われる。
若冲、蕭白、芦雪などの「奇想の画家」達にも、
ルーツや他の影響があったと知り、私は目からウロコだった。
若冲は、日本美術に興味が薄く現代美術を好む人にも人気が高い。
このことは、漫画的な表現が流行の現代美術の感受性にも、
つながっているものなのではないだろうか。
空間恐怖的に増殖する画面、遠近感の無さ、コントラストの強さなども、
現代絵画に見られるひとつの傾向だ。
こういった傾向に惹かれる人が多い今、
朝鮮絵画を見直すには絶好の機会だろうし、
これまでぽっかり空いていた、
日本美術の大事なピースを埋めることになるように思う。

阿修羅展 覚え書き 

阿修羅

東京国立博物館で開かれていた「国宝 阿修羅展」閉幕。
総入場者数は94万6172人で、
同博物館の日本美術の展覧会として史上最多の記録となったそうだ。
私が見に行った時も50分待ちというような状態だった。
興福寺でなら、誰もいないところで、ゆっくり対面できる阿修羅なのに、と思う。
直に見ることが出来るとか、後ろを見ることが出来るとか、
いろいろ今回ならではのことがあるとはいえ、
すごい人出になったものだと思う。

どうして阿修羅はこんなにも人気なのだろう。
仏像に詳しくない人でも知っているし、
一番好きな仏像として名前が挙がる筆頭でもある。
「美少年だからかな」と私が言うと、
「3だからだ」とOTTOが言う。
OTTOが言うには、頭が3つとか、腕が3セットなのは、
カブトムシの角や昆虫の手足のように、
子供心にもキャッチーで、覚えやすい形とのこと。
「キングギドラとかもそうでしょ」と言う。

でも阿修羅像は他にもあるのだから、
興福寺の阿修羅が特別に愛されるのは
「3」だからというだけではないはずだ。
「3」好きの男子だけではなく、たくさんの女性の心を掴んだからこそ、
阿修羅人気が大きくなったのだと思う。
荒々しい闘争の神であるところの阿修羅が、
あんなに線の細い面立ちと肢体として表現されているところに、
心惹かれる女性が多いのではないだろうか。

会場では、阿修羅の周りに厚い厚い人の壁が出来上がっていた。
ギュウギュウの人だかりの真ん中で、眉を寄せて立っている阿修羅。
その様子を、少し上から眺めていると、
阿修羅がますますいたいけに見えてくる。

薬師寺展、阿修羅展と、仏像展が人気だけれど、
展覧会場で見る仏像はいつもかわいそうに感じる。
早くお寺に帰りたいのではないかなと思う。
阿修羅の背中を見たい気持ちは私もあるけれど、
仏様はきちんと前から、拝むのが本当だろうと思う。

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