OIKAWA,Satoko blog

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ハクビシンと、銀次 

銀ちゃん

昨年末、山のアトリエにハクビシンの兄弟がやってきて、
子供過ぎたためか、3日後にそろって亡くなってしまった。

ハクビシン兄弟を見つける前夜、
けたたましい猫の悲鳴のようなものを父が聞いたという。
母ハクビシンがきつねにやられて、
乳離れしない仔が二匹残されたのかもしれない。
2匹そろって歩きながら、
きっと食べられるものを探していたのだろう。
まだまだおっぱいしか飲めない二匹だから、
2日目には寝たきりになっていた。
寄り添いながら、よわよわと息をしているのを確認し、
毛布をかけてあげるくらいしか、私には出来なかった。
亡くなったハクビシン兄弟は、父が庭に埋めた。

それからほどなくして、銀鶏の「銀次」が亡くなった。
愛称は「銀ちゃん」。
私が高校生の時から飼っていたから、もう20歳以上になる。
銀ちゃんの小屋は、私の画室の窓から見えるところで、
時折、見るともなしに銀ちゃんを見やって過ごしてきた。

冬の朝には、銀ちゃんの水入れのボールに張る氷を割って、
水を取り換えるのが、私の日課だった。
「銀ちゃん、おはよー」と近づけば、そっと近づいてくる。
水をきれいにしてやると、
咽の奥から、やわらかい声で「クククククククククー」と啼く。
誰が聞いても「ありがとう」という響きだった。

キジ科の鳥は警戒心が強く、人にはそうそう慣れることはない。
銀ちゃんは独身だったし、長年側にいたから、
ずいぶん慣れたのだろうと思う。

銀ちゃんが、具合が悪そうだと気付いてから数日。
その朝は、まだ父がアトリエに着かず、私一人だった。
いつものように「おはよー」と声をかけ、
氷を割って水を入れると、黙って私をみつめている。
咽が渇いた様子というより
「入れてくれたから」
というような風情で、少しだけ水を飲む銀次。

雪の積もる鳥小屋の中で、銀ちゃんが丸くなって頭を下げて立っている。
つむったまぶたの様子から、貧血らしいことも見て取れた。
絵を描きながら、5分おきくらいずつ、窓から銀ちゃんを見ていた。
そうやって、何度か、目をやった時、
突っ伏している銀ちゃんに気付いた。
即、小屋に行く。
まだあたたかな身体ではあったけれど、もう息はない。
やわらかなうちに、と、足をそろえて、身体を横たえさせた。

ほどなく、父がアトリエに到着した。
父が銀次の身体を持ち上げると、くちばしから水が滴り落ちた。
飲み込むほどの力も残ってはいなかったのだろうか。
最後に水を口にする銀ちゃんの表情の意味を思う。
「お前が死に水を取ってやったな」と父は言い、
ハクビシンを埋めた近くに、銀次を葬った。

高校の頃、庭に埋めた鳥の死骸を、
きつねか何かが掘り返し、持っていってしまうことがあって、
何たることかと、野生動物達が憎くてならなかった。

もちろん、今も、
もし、銀次を何ものかが掘り返して持っていってしまったら、
どんなにか憎らしくなるだろう。
その反面、なすすべもなく死んでしまった小さなハクビシンを思う時、
こうも強く感じるのだ。
憎まれようと、汚かろうとかまうことなく、
食らえるものを食らって、野性の者たちは生き抜いて欲しい、と。

銀ちゃん2
若かりし頃の銀次。カメラに警戒するところが、元気の証。

孔雀さん
数年前に亡くなった孔雀。
銀次と同じ年月を過ごした鳥。
孔雀はあまり慣れることもなくて、
その分、尊敬されて、皆に「孔雀さん」と「さん」づけで呼ばれていた。
今は銀次といるのだろう。
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手の働きを 

芽


主よ、帰ってきてください。
いつまで捨てておかれるのですか。
あなたの僕(しもべ)らを力づけてください。

あなたが私たちを苦しめられた日々と
苦難に遭わされた年月を思って
私たちに喜びを返してください。

あなたの僕らが御業を仰ぎ
子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。

わたしたちの手の働きを
  わたしたちのために確かなものとし
わたしたちの手の働きを
  どうか確かなものにしてください。

                
         旧約聖書(新共同訳)詩編90 より


2千年以上前の人間が綴った詩編に、
心の深いところから共鳴する。
未曾有の災害といわれるけれど、
今回の震災のようなことは、
きっとこれまでも人間を襲ってきたのだろう。
それでも今日まで、人は絶えずに生きてきた。

この詩編が
「手の働きを確かなものに」という祈りでしめくくられることが、
私の気持ちを奮い立たせてくれる。

復興は願うことでは叶わないのだな。
自分自身が、この手を、しっかりと働かせなければ、と思う。
その働きを、どうぞ確かなものにしてくださいと、
私もそう祈ろう。

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明日から、柴田町の「しばたの郷土館」で、
「及川茂・聡子 父娘展」が、
仙台の晩翠画廊では「震災復興支援チャリティ展」が始まります。

「及川茂・聡子 父娘展」は、3月19日から開催の予定でしたが、
震災の影響により、4月26日からの開催となりました。
柴田のさくら祭りは中止となった今年、
この「父娘展」も開催が危ぶまれましたが、
郷土館の皆様のご尽力のおかげで初日を迎えられることになりました。
晩翠画廊の「震災復興支援チャリティ展」は、
売り上げの一部が晩翠画廊さんを通して、
NPO法人『石巻こども避難所クラブ』へ寄付されるとのこと。
私も小品を一点出品いたしました。

父娘4

父娘3 

父娘1

上の3枚の写真は3月11日の数日前に、
搬入を終えたばかりの時の「父娘展」会場の様子。
あの地震の中を、作品は一切壊れることがなかったことは、
一重にしばたの郷土館の皆様のおかげです。
会期は短くなってしまいましたし、
桜も満開の頃は過ぎてしまいましたが、
展覧会が開催されることだけでも、
本当に、奇跡的なことと感謝しております。

招待状など諸々の事情により、発送が遅れておりますが、
このブログで、急ぎお知らせさせていただきます。
桜はもう葉桜ですが、葉桜もまた美しいものです。
お立ち寄りいただければ幸いです。

来年は41ね 



とうとう40歳の朝を迎えた。
今日になったら、探そうと思っていた動画。
ピーター・フォークのウィスキーの広告。
見てから、あぁ30歳の設定だったのだな、と思い出す。
10年遅かった。

ピーター・フォークといえば、
当然、刑事コロンボである。
コロンボの第1作は「殺人処方箋」1967年の放送で、
ピーター・フォークがまさに40歳の時の作品になる。
我が愛するコロンボは40歳デビューだったのだ。

それまでシリアス路線だったピーター・フォークは、
コミカルなコロンボ役を演じることで多くのファンを得た。
40代での大変身と大成功というのは、勇気が出る話に思う。

う~む。……コロンボに追いついちゃった。
そして、来年はバカボンのパパに追いついてしまう。


大江健三郎のタイムマシンby伊集院光 



もう終わってしまったラジオ番組、
伊集院光の「日曜日の秘密基地」内のインタビューコーナーに
大江健三郎さんが来た時の音声をネットで見つけた。
本当に興味深い内容で感動してしまった。

話の内容ももちろん良かったけれど、
大江健三郎さんと伊集院光氏のやりとりも本当に良かった。

大江さんが、伊集院氏の感受性を
とてもていねいに汲み上げてくれているのも素敵だし、
伊集院氏が真摯に質問し、
自分の「ラジオ」の表現に引き寄せながら
大江さんの話を受け止めていくところも良い。

伊丹十三さんのエピソードも、
大江さんと伊集院氏の間で語られると、
本当に活き活きと伝わってきて、
なんだか泣けてくるほどだった。 

そして、大江健三郎文学について、
伊集院氏が「タイムマシン」と表現したことが、
伊集院氏らしいな、と思う。
昔、OHデカナイトというラジオ番組のDJの頃から、
伊集院光が好きな私には、
伊集院氏の妄想力を、大江さんがとても大事にして
会話というコミュニケーションをしてくれていることが、
とても嬉しいし、伊集院さん、良かったね、と思うのだった。

個展 御礼 

石山椿

数寄和 西荻窪/大津での個展「薄氷」が
3月22日、終了いたしました。
お忙しい中、御来場いただきました皆さまに、
心よりお礼申し上げます。
皆さまのご厚情を励みに、また精進して参りたいと思います。
今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

                        
(写真は石山寺の椿です)
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作品の返却と共に、4種類の紙が届く。
絹に制作することによって得た経験をもとに、
この薄い紙で、またもう少し違う自分の可能性を探したい。
今回の展覧会に向けての制作は、
これまでにないほど、学ぶところの多いものだった。
それは1にも2にも「技術」というものであったように思う。

白州正子さんの言葉で、私が大好きなのは、
「形にならない心なんてない」というものだ。
骨董を愛した白州さんらしい言い切りだと思う。
心を形にするために、
不可視なものをも、見える形にするために、
私は学ぶべきことがたくさんある。

技術は、学べば確かに一歩進む。
もちろん、ある域に達すれば
身に付けた技術が軛になる時が来るのかもしれない。
でも、私にはまだまだそんな心配はないだろう。
これまでやり残した勉強が膨大にあることは疑いないから、
技術を身に付けることに熱心になって間違いはない。

形にすることに、もっと精一杯尽くしたいと思う。




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