OIKAWA,Satoko blog

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床が抜けた 

今度の家では8帖を2間占領しアトリエとしている。一間はぼろぼろなりにも畳が入っているが、もう一間には畳がなくて板が敷いてある。もともと板間だったようだけど何しろ古いので歩くだけでももひどく軋む。ついに先日、床が抜けた。
押し入れのものを取ろうとつま先立った瞬間、ガズッと音がして左足の先が地面に触れた。一瞬訳がわからなかったが、事態が飲み込めた途端に笑いが込み上げた。

穴が開いていてはどうしようもないので、コンパネで床を張る予定。穴に初めて気付いた愛犬は恐る恐る近づいて床下のにおいを嗅いでいた。「怖い怖いだよ~」と声をかけると思いっきり尻尾を下げ腰が引けた状態で振り向いた。まゆ毛はしっかりハの字である。

家というものが意外に簡単な構造なのだと気付くこの頃。すき間だらけの窓からは冷たい風が吹き込んでくる。野外?ってほどに簡素な我が家。安い建材を近所のDIYで仕入れては補修の毎日。いつかキャンプに行こうと言い続けて一度も家族でキャンプはしたことがないのだが、今の生活、それ自体が間違いなくキャンプである。
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フリフリ 

意外なことなのだが、街が恋しくなる。
都会派でもなく、買い物好きでもブランド好きでも、グルメでもない私。人込みも嫌いだし、押し付けがましくサビばかり繰り返す流行歌も嫌いなたちだ。にもかかわらず、街が恋しくなる。 ファミレスのハンバーグ定食とか、サイボーグにしか見えないエレベーターガールまでもが懐かしく思う。田舎暮らしを始めてホンの2ヶ月。自分はアウトドア派だと思っていただけに、この気持ちには驚いている。木々の様子や空模様に胸ときめかせることは事実にしても、それだけでは埋められないものがあるのは事実なのだと感じている。

小奇麗なもの、丁寧にパッケージされたもの、人の温度のない、出来合いで無愛想な量産品、それらが持っている冷たくも優しい、距離を保ったサービスが懐かしいのだろう。実の無い、通り一遍で、誰にでも当てはまる、その他大勢でいられる気安さが懐かしいのだ。

今日、通販で注文をした人形が届いた。「セキグチ」という、モンチッチで有名な会社で作っている抱き人形、子供用の量産品である。私は一人っ子だったから、人形やぬいぐるみが大好きでいつもそばに置いていたし、誕生日やクリスマスのプレゼントはぬいぐるみか人形と決っていた。
去年、ネットオークションでドイツの作家物のドールを手に入れてから、まるで子供の時のように人形熱が再燃してしまい、その後数人(数体)ネットで手に入れていた。むろんそれらは全て中古。中古でなければ手に入れようもない良質の子達ではあった。でも多分、今の私には小奇麗にパックされた量産品のまっさらなものが必要だったのだと思う。かつ、生活に必要な訳でもない、無駄で、可愛くてフリフリのもの。

届いた人形はいかにも日本製の、あっさりとして彫りの浅いお人形だった。トヨカロンというちょっと上質な素材で出来た髪はサラサラソバージュ。その髪を手櫛でとかしつけながら忘我の境地に陥る自分を面白可笑しく客観視する。
多分、これからの生活に対する不安もあるのだろう。茫洋と広がる未来に、果たして自分の才能とやらが何かしらの方向性を示せるのだろうかと…。 ここまで、のっぴきならなくなったことなどこれまで無かったんだから。

2004年、ここが正念場だぞ、と思う。正月早々、寒さで水道管が破裂。めいっぱい落ち込んだけど負けてなるものかなのである。魂はどこまでも孤高を保たねばならぬのだ。生活に負けてはならないぞ。どんな時でもエンゲル係数はできる限りに低く、役に立たない、フリフリを忘れてはいけないと、自分に強く言い聞かせる今宵、月は誰のためにでもなく冴えている。

街を出る 

ちょうど去年、ギャラリー戸村での個展直後、埼玉県朝霞市から宮城県仙台市に引越してきた。そして今「ニュー・アート・コンペディションof Miyagi」会期終了を以てまたしても引越をすることになった。宮城県の中、仙台から柴田町への引越である。

柴田町は仙台の南に位置し県内でも暖かな気候なのだという。日本で柚子が収穫できる最北端。新しい家は柴田町の小さな市街地からもかなり奥まった山の中である。家の横手には山。そのためテレビなどの電波状態も悪い。PHSを愛用していた私はとうとう携帯電話への移行を余儀なくされた。

…だがしかし、この家、相当にワクワクものなのだ。古いけど、とにかく広い。8部屋もある。お風呂は二つあって、ひとつは五右衛門風呂。納屋も付いている。納屋の二階はハイジの山小屋のようだ。 電波が悪かろうと、ADSLが使えなかろうと良い!こんな家に住むのなら東北に来た甲斐があるというものだ。すさまじく急ではしごみたいな階段を上る。ギシギシ鳴る二階の窓から見えるは山と空。

なるたけ引越料金を節約したいので、荷物を少しずつ車で運んでいる。夜、荷物を運び込む間、愛犬は家の周囲を偵察している。家の横手の山をクンクン嗅ぎながら登っている。おーい、と呼んで懐中電灯で愛犬を照らすと闇夜に浮かぶ彼女の瞳。まるで野生の獣だ。 よし!私も野生児になるぞ、と思う。

宮城に越すことを知らせると、関東の知人には「田舎は良いわね」とか「街を離れて大丈夫か」とか「熊に気をつけて」と言われた。中には名残惜しいねと言いながら美空ひばりの「リンゴ追分」を聞かせてくれた先生もいた。日本6大都市のひとつ、なんて声高に自称しても仙台は東京人の意識の中では今まだ道の奥なのだ。
関東育ちのOTTOは東京で編集者をやっていた。その生活に区切りを付け、東北に来る時点で彼には私よりも「覚悟」があったということに今更気がつく。仙台で生まれ育った私は東北に暮らすことが都会の暮らしを捨てることになるとは思っていなかった。地方都市として発達した仙台はむしろ東京より暮らしやすい面も多い。便利さを手放す覚悟など私にはなかったのだ。

街を出る。今度の引越はそういう決断なのだ。愛犬は山が好きだ。関東にいたときも高尾の山を超高速で駆け登り草花の種を毛に付着させながらご満悦だったものである。彼女は山を下るときも信じられない速度で降りる。そんなとき、私は自分の身体感覚が著しく衰え、空間把握が出来ていない事を感じた。
街というのは平面世界だ。距離感なんて人と車との間にしか必要ない。平板な道。必要な情報の多くは看板である。3次元の現実を2次元に組み建て直すことが都市のインターフェイスなのかもしれない。それに馴れていると山や自然の勾配に身体が付いていけない。走って下る次の着地点がどれだけの距離を計る。しかも横にだけではなく高低の距離感も一瞬に目算しなければならない。足首が受ける衝撃はどれほどであり、そしてそこは乾いているのか、ぬめっているのか草むらなのか木の根なのか、必要な情報の多さに私の衰えた感覚が毛穴をちぢこませる。

現代の表現は観念的になり、作家の観念を象徴するためだけに存在する事物で美術界はいっぱいだ。事物が事物自身で存在することを、人が認識する以前から、人に命名される以前からそこに在るものは在るのだということを、街のなかで多くの現代人は忘れてしまったように思う。
でもね、ほんの少し車を走らせれば観念吹き飛ぶ実在の世界はかつてと変わりなく確かに存在するんだ。そこに在るものは人間におかまいなく、まして作家になどおかまいなく存在している。

私はその世界に暮らして、自分の身体を取り戻そうと思う。山の勾配を駆け登り、足早に下ることの出来る生き物になりたい。そこから私の今後の制作は始まるのだと思っている。

さくらの会 

柴田町で、始めての春を迎える。おととし、長い関東生活に区切りを付け、故郷・仙台に越して一年、去年の秋に再び引越、柴田町に暮らすことになった。
33年生きてきて、すでに11度目の引越。宮城、東京、埼玉、そして宮城に戻ってきた。それぞれの県の都市部や田舎を転々として、今、桜と柚子の里、柴田にいる。

私は日本画を描く。日本画は基本的に床に寝せて描くので、アトリエは広くなければならない。犬もいるので、借家を探すのにとても苦労をする。広くて、安くて、ペット可などという物件は皆無といっていい。関東を引き上げ、引越した仙台の家は2年目には家賃が上がるという。夫は会社勤めを辞めたばかり。八方ふさぎの日々が続いた。
そんなある日、「聡子ちゃん、絵手紙描いてみない?」と、知人が柴田さくらの会・絵手紙コンクールの応募要項をくれた。柴田町には両親が住んでいる。柴田のさくらがとても綺麗なことは聞いていたし、小さな絵を描くのも好きなので、絵手紙というよりは小品を仕上げる気持ちで桜を描いてみた。白群の空に、大きな桜、花びらが散りその根元に積もっている。その絵手紙が、なんと大賞に選ばれた。

授賞式で、さくらの会メンバーの皆さんにお会いし、そのさくらへの思いの深さに感銘を覚えた。花が咲けば、誰もが見上げるあの桜も一年を通せば、けっして常に主役というわけではない。花を咲かせていない桜を、人知れず世話する人々がいることに、私はとても感動した。記念樹として、町の内外の人が自分の桜の苗木を植えることもできるそうだ。その苗木の世話もさくらの会メンバーが務めているという。
「小さな町の良さ」なのではないかとも思う。大事に思う町の、誇りとする桜を、直接、自分たちの手で世話し、育てる。桜を育てることは、町を育てることでもあるだろう。行政だとか、窓口なんてそこにはなくて、虫を駆除するとか、土を掘るとか、花を待つという身近で優しい作業が繰り返されている。良い町だなぁ、と思った。

その町に、まさか自分が住むことになるなんて、人生不思議なものである。納屋の付きの農家を格安で貸してくれるという話しが舞い込んだのだ。もちろん、犬もOK。
自分の制作も、夫の仕事も何も好転したわけでもなく、そうである以上、八方ふさがりな状態に変わりは無かったのだが、柴田町への引越を決めた時、私は目の前が開けていくのを感じた。とても自由になる気持ち。複雑に絡まった糸のような未来図が、可笑しいようにぷっつりと切れて、他にどんな未来図も現れず、ただ真っ白な「次」が私達の一歩を待っている、と思えた。

柴田町で最初の春。私達の暮らしも好転し始めた。桜の開花は例年より早いという噂を聞く。「きっと今年のお花見は最高だね、一目千本桜、ってすごいんだって」などと話していたら、さくらの会の方から、このエッセイ掲載のお話をいただいた。巡り合わせというものを感じずにはおれない。つたない文章でも、なにかしら自分なりにこの町についての素敵な発見を、綴ることができるよう切に願っているところである。

新居の事情 

個展終了日の次の日は仙台への引っ越し。その新居というのが実に手強い物件だ。大家さんは知人の宮大工さん。一家そろって超多忙のため、私達の引っ越しに合わせて家を整理することが出来ないため5年間誰も住んでいなかった家に、ほぼそのまま住むことになったのである。
壁は至る所はげており、襖もかなり破けている。台所は特に壮絶な状況だった。

まずはハウスクリーニング、そしてDIY。10/28日に荷物を運び込んでから、食器を出すところにこぎ着けるまで一週間を要した。お風呂や食事という生活の基本がどうにか出来るようになり、ほっとしている今日この頃である。
そんなスタートの仙台生活だけれど苦痛ばかりかといえば、ちっともそうではないんである。そんなスタートも結構楽しんで乗り越えている。疲労のため目は痛むし口内炎も長引いたが、窓を開け放し近所を気にせず庭に出たり掃除をしたり洗濯物を干したり、そんな普通がとても心地よい。

おととい、仙台観測史上3番目の早い初雪が降った。雨が見る間に雪に変わり、庭木はあっという間に雪帽子をかぶった。次の朝、カーテンを開けると一面銀世界!冬タイヤに変えずにいたOTTOの不安をよそに、私は愛犬とともに庭を走って(雪の上を走ることが出来るのは北国の人間の証)雪投げをし、手を真っ赤にしてふざけ合った。「こたつで丸くなる猫」よろしくストーブの前でお尻を暖めるOTTOにキンキンに冷えた両手を誇らしげに見せて、リンゴほっぺの三十路の私。

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